ウィルスは忖度しないモノと見るべきだけど人間の社会脳も同じようにモノとして見るべき

社会脳仮説とは、人間の脳のチップ面積の半分は対人関係処理専用プロセッサが占めているという話だ。

「大型クルーズ船における新規感染症の対策について」という論文があって、「法的な強制力の適用条件」とか「船内特有のゾーニングの困難さとその対処」なんていう目次があったとしても誰も読まない。でも「岩田 VS 高山、インチキ野郎はどっちだ」という話になると大変な注目を集める。

注目を集めるだけではなくて、やりとりを見ているうちに、問題の構造を多くの人が普通より理解し始める。

カードの数当てゲームみたいな問題を、数学的な複雑性や構造をそのままにして「チートしているのはこの4人のうちの誰でしょう?」という問題にすると、正答率が有意に上がるという研究があるそうだ。

人間は、モノの論理を考えるより、対人関係の中の問題を解く方がずっと得意なのである。

これは歴史が古く、人間が猿だった頃からそうだった。そもそも、100万年前に猿の脳が大きくなって人間になったのだけど、その時分には脳が大きくなるメリットはほとんどなかった。脳が大きくなると頭の大きい子供を未熟なまま産むしかなくなるので、種の生存にとっては大変なコストになる。ライオンの習性をちょっと早く学習したり、木の実の種類を少し余計に知ってるくらいのことでは、とてもペイしない。

だから、何でそこで脳が大きくなってしかも生き残ったのかは大きな謎だったそうだが、どうもこれは、集団で石投げをして天敵や獲物を倒すということができるようになるためだったらしい。チームプレイができれば、石投げは強力な武器で、何も怖くなくなる。気候変動でジャングルから草原に投げ出されて大変なピンチになった我々の祖先は、チームプレイを覚えて、突然、天敵を恐れる必要のない強者になった。

この時に、チームを大きくすることと、チートする奴を排除することが必要で、これには相当大きな専用プロセッサが必要だったのだ。言語を使うことはもちろん、相手の視線の向きや意図を理解したり、チート野郎の行動を時系列に沿って覚えることなどには、脳の負担が大きくそれ向きの専用プロセッサがないと処理できないレベルらしい。

我々の学問は、この専用プロセッサを本来の用途と違う使い方をすることで出来上がっている。だからみんな数学が苦手だし、フェイクニュースがなくならない。フェイクニュースがもし100万年前にあれば、我々の祖先もみんなそれに乗せられていたのだ。

これは、定説とは言えないが、それなりのエビデンスも集まってきてるそうだ。

借金の証文に「もし払えなかったらみんなの前で恥をかかされてもいいです」というのがあるそうだが、チームを追い出されることはライオンに対峙するよりずっと命の危険があるというのは、人間の脳のバグではなくて、少なくとも我々の祖先にとっては現実であり、我々の脳は100万年かけて、それを恐れるように進化してきたのだ。

そこで、これから岩田さんの立場になる人への提言なのだけど、高山さんのような人をサイエンスの外から発言する人と見るのではなく、社会脳学という別のジャンルの専門家として見るべきなのではないだろうか。

つまり、これはサイエンスと組織運営の対立ではなく、感染症学と社会脳学という二つの学問分野の専門家による立場の違いであると。

政治家や官僚の人は、「社会脳」という分野におけるスペシャリストで、もちろんきちんとした理論的なバックボーンは持ってないけど、長年の経験でその分野に高い知見を持っている人である。彼らの肩書きがそのエビデンスであると言ってもいいと思う。

そして、感染症学と臨床医学だったら、危険性の高い検疫の場では、感染症学が上に立つべきなのと同じように、感染症学と社会脳学だったら、多くの場合、社会脳学が上に立つというかグランドデザインをすべきなのはこっちだと思う。

ただ、その人の社会脳学の適用範囲は見極めるべきだろう。

クルーズ船の対応にあたる組織だけに着目して、多くの制約がある中でこれをどう動かせば最善の結果が残せるか、という観点は、完全に高山氏の専攻分野で、問題をこのレベルで考えるならば、岩田氏が高山氏のストーリーに乗って、しばらく大人しくしてから高山氏がゴーを出したタイミングで暴れまくるのが最善だ。

でも、日本全体の問題と考えると、DMATの関係者、つまり志が高く機動力のある医療の専門家を汚染のリスクにさらすのは問題だと私は思う。つまり、士気を下げて船内の活動の妨げになっても、医療関係者を守るべきだったと思う。ただ、これは「ウィルスは忖度しないからモノの論理、サイエンスの論理を優先すべきだ」という意味ではない。社会脳学的観点からのリスクより感染症学的観点からのリスクに重点を置くべきということ。

これは単なる素人考えだけど、サイエンスとそれ以外の対立ではなく、我々が社会脳を持ち社会脳に動かされる存在であることも外的な事象として受け取った上で、ウィルスと社会脳という二つの動かせない現実に対していると考えて、その両者の専門家が協力して対策を考えなくてはいけないと、そういう枠組みで考えた方がいいのではないだろうか。

リスクテイカーという貴重な資源

ゴーンさんのこれまでについてはよく知らないし、これからどうなるのかもわからないが、そういう私にも確実に言えることがひとつあって、それは彼がリスクの取り方をよく知っているということである。

私たちは、彼が出国に成功した時点からネタバレで見ているので見落としがちだが、実行前には、これはどうなるか誰にも予想できないことであったはずだ。特にゴーンさんの視点から見ると、彼は他人が自分の思惑通りに動かないという体験を、最近しているわけである。

ここ数年は勇退のチャンスも何度かあったが、それに乗らなかったのは、まさか自分の蓄財が不正として告発されるとは夢にも思っていなかったからだろう。それがグレーなのかクロなのかはわからないが、日本政府やフランス政府も含め、ほとんどのステークホルダーにとって、自分を日産ルノー連合のトップに据えておくことが得だと考えていたのだと私は思う。

日産の経営は単なる自動車会社の経営ではなくて、日仏両政府の綱引きの中で政治的な微妙なバランスに乗った綱渡りで、そんなことができるのは自分しかいない。その自分を蹴落としたら、会社が傾いて、日産の役員や社員はもちろん、日仏どちらの国民にとっても政府にとっても損な選択だ。

いかに彼が不正なことをしようが、横暴なことをしようが、そんな損な選択を関係者がするはずがない、彼はそう思いこんでいた。

しかし、世の中には損得を考えないか損得が全く見えない人間がいたのだ。それを彼は拘置所の中でいやというほど痛感しているはずだ。

彼の出国に誰がどういうかたちで関わったのかも私にはわからないことだが、多くの人間の協力が必要なことは間違いなく、その全員に十分な見返りがあることもおそらく間違いないが、ちゃんと見返りがあるはずなのに自分を裏切る人間がいる、という経験を彼は最近したばかりで、そのために、長時間の取り調べなど辛い思いをさんざんしているのである。

いくら下調べをしても出国は一発勝負で、一発勝負特有の多くのリスクがある。確実にしようとリハーサルとかを入念にすれば、バレる危険も多くなるので、協力者を信じて少ないチャンスに賭けるしかない。

こういうプロジェクトに乗れて、なおかつ成功するというのは、やはりゴーンさんは優秀なリーダーなのだと思う。

ここでリスクを取らないとジリ貧になるという自分の状態を受け入れられるということだし、リスクを減らすための方策は全部打つということだし、リスクとリターンをきちんと総合的に評価できるということだ。しかも、それを評論家的な立場から言うのではなく、自分の身の安全がかかった状態で多くの人が関わるプロジェクトとしてリスクを取れるということだ。

私はゴーンさんをヒーローとして見ているのではなく、資源として見ている。リスクテイカーは今の日本に最も必要な貴重な資源だと思っている。

ゴーンさんを告発したのは大きな間違いだと思うが、逮捕した以上は、法治の原則を貫き、身柄引き渡しに向けて最善の努力をすべきだ。だが、最大の失敗は逃したことではなくて告発したことだ。

ゴーンさんを上司にしたり友達にしたくはないが、社長や総理大臣にはリスクテイカーがなってほしい。リスクテイカーは石油や輸入食料品と同じように資源と見るべきで、リスクテイカーがグレーなことをするのは、つまりルールに対する観点や倫理観を一般の人と共有しないのは、ほとんどその資源の性質のように考えるべきだと私は考える。石油が燃えて危ないから輸入しないとか燃えなくするという議論は成立しない。その有用性を失わない範囲で適切に管理すべきで、石油だったら、必要量を輸入して十分な備蓄も確保せよとみんな言うだろう。リスクテイカーも必要量を輸入するか生産すべきであって、そのための費用は純粋に損得計算だけで考えるべきだと思う。

7payは不正利用報告をクレーマーのようにとらえているのでは?

7payの撤退の会見について、その素早い損切りの決断を大局的な損害の極小化という意味で評価する意見をいくつか目にした。同意できる部分もあるが、不正利用の原因をリスト攻撃だと強弁するところなど、どうにも違和感を感じる部分も多い。この違和感は、エンジニアの多くが感じているもののようだが、それは最後まで解消されないまま終わりそうだ。

これについて、「7payの関係者の多くは不正利用の報告をクレーマーに対応する方法論で処理している」と考えると説明しやすいのではないかと思った。

新しい商品やサービスに対して、消費者から多くのクレームが同時に上がったら、無視していいものではない。むしろ、改良のための貴重な情報源として生かすべきだ。そのためには、クレームを分類して、同じような指摘が多く上がっているところから、対応していく。ここまでは、クレーム処理も不正利用報告も同じだろう。

不正利用の被害を分析していくと、多くがリスト攻撃の被害だという主張は、信じてよいと思う。割合や被害金額から見て、パスワードを使いまわして、チャージ用パスワードにも同じパスワードを使い、単純なリスト攻撃でチャージから不正購入までされてしまった人が、それくらいいてもおかしくない。

ここまでの分析は正しいし、セブンイレブングループが、それを今後の教訓として活かしていける可能性は高いと思う。

問題は、この分類に当てはまらない、特異な報告をどう扱うかだ。特異な不正報告は特異なクレームと全く違う対応をすべきだ。

特異なクレームというのは、一般の人なら「まあ、それでいいよ」というところで怒りがおさまらず、しつこくしつこく同じことを言い張って譲らない人とか、虫が入るわけのない食品に虫が入ったと言う人とか、いわゆるヘビークレーマーになるだろう。

こういう人の主張をいくらしっかり聞いても、それが商品やサービスの開発に役立つヒントになるとは思えない。そういうクレーマーが来たら、だんだんと専門性の高い人にエスカレーションしていって、最後に警察や弁護士にというシステムを整備する必要はあるだろうが、会社としてちゃんと話を聞く必要はない。

しかし、不正報告では、逆に、他の人にはあり得ない現象を報告している人や、登録やチャージの操作をきちんと記録して「絶対自分の落ち度ではない」と言い張る人、特異な報告は、貴重な情報源だ。ツイッターなどで見ると、そういう信頼性の高い特異な報告がいくつかある。

ここで、特異な報告の扱い方として、人間の集団心理に対するロジックとコンピュータに対するロジックは、正反対の対応を要求する。

特異なヘビークレーマーは、放置しても、そのクレーム内容が他の普通のユーザに伝染することはない。もちろん、対応がよくなければSNSで炎上というのはあり得るが、その時にどちらがおかしいかは、一般常識で判定される。

特異な不正報告は、未発見の脆弱性から生まれている可能性があり、その場合、この脆弱性が発見されたら、それが突如何千、何万という被害に拡大することはあり得る。というか、プロの犯罪者は、そういう報告を集めて、情報を精査し、実験を繰り返しているだろう。

それが、他のユーザに適用可能かどうかは、人間の一般常識ではなくて、コンピュータのロジックで判定されるべきことになる。

未発見の脆弱性は、脆弱性である限り、どういう種類の被害につながるか予測できない。だから、特異な不正利用の報告は件数が少なくても、論理的に信頼性を評価した上で、徹底的に原因を追求して、エンジニアやセキュリティの専門家が納得できるような調査報告をすべきだと思う。

私は、こういうコンピュータ独特の論理と企業活動の関連を、「巨大で硬質な外部性を組織の内部に抱えこむ」(ドロドロなIT - アンカテ)と表現したことがある。思いつきでとっさに出てきた表現だけど、自分としては、なかなか気に入っている。

もうちょっと簡単に言うと、想像を超えたコミュ障の理系オタクの部下をかかえた上司のような対応。

私は、たぶんまわりからは、コミュ障のオタクと思われていると思うが、そういう人間でも最低限の空気は読む。普段ヘラヘラした上司が顔色を変えて「いいか、これは、今月中に終わらせるんだぞ。大変なことになるからな」とか言っていたり、普段目にしないようなエライ人が入れ替わり立ち代わりプロジェクトルームに出入りしていれば、「ああこれはやばいかも」というのは感じ取る。

確信はなくても、「不具合は全部対処したので、もう完璧です」と、そのエライ人の前では言っておくくらいのことはできる。

でも、コンピュータというのは、そういう配慮は一切なしで、書いた通りにしか動かない。今日はエライ人に最終報告する中で実際に画面を動かしてプレゼンするから、なんとか今日だけでいいから動いてくれとか、コンピュータにお願いしても、バグがあってそのバグの再現条件を踏めば、情け容赦なくエライ人の眼前でプログラムは落ちる。書いた通りにしか動かない。

自分は、コミュ障かもしれないけど、こいつよりは全然マシだと思うのです、そういう時いつも(実体験×3)

だから、 どうせ口を塞げないのなら「王様の耳はロバの耳」と先に言わせる、いっそのこと毎週定期的に言わせることにするという発想がアジャイルという奴で、「巨大で硬質な外部性」を組織に取り込むには必須だと私は思うのだが、それ以前の問題として、人間の集団を率いて、顧客という別の人間の集団に立ち向かうリーダーとして優れている人が、むしろ危ういのは、やはり「巨大で硬質な外部性」の口を塞ぐ方に組織が一丸となって頑張ってしまうからだと思う。

確信はないけど、「未発見の脆弱性があるので、その調査が終わるまで7payだけでなく7iD関連いったん全部止めましょう」がこの場合の正論である可能性がある。素早い撤退の決断は、おそらく「omni7だけは守り抜こう」という方向で組織全体にカツをいれたと思うのだけど、その空気の中でこの正論を言わなきゃいけない立場に自分が置かれたら、と想像すると、自分にとってはどんな悪夢よりも怖い。

7pay経営陣がモノを知らないことより聞く耳を持たないことの方が深刻な問題

でも、これは説得の方法はある。

流通業にコンピュータを売り込むことの一番の問題は、製造業と違って、投資という概念がないことだ。本業が日銭と値切りと他社を出し抜くことで成り立っているから、やりにくい相手であるのは間違いない。

ただ、流通業は客の動向には敏感だ。客は結局コスパで動くと思っている。

だから、犯罪者集団も客と同じようにコスパで動くと説得すればいい。実際、セキュリティとは、犯罪者から見て、自社がコスパの悪い対象であると納得させることだ。

安売りと同じ原理で、1円とか2円で売る必要はなくて、他の店より少しでも安くなれば、客はみんなこっちに来る。それと同じように、他のサイトに穴がなくて、こっちに穴があれば、みんなこっちに来る。両方に穴が開いていれば、より簡単な穴の方を狙ってみんなこっちに来る。

価格が99円対100円だった時に、売上が99対100の比率になるのではなく、ほとんどの客が99円の方に殺到する。それと同じように、犯罪者は一番簡単にハックできそうなサイトに殺到するのだ。

だから、ガイドラインを遵守することが重要なんです。我流でやってるサイトは、いつも安売りしてる店と同じで、「ここに来ればなんかいい穴がありそうな気がする」と思われてしまう。

結局、客も犯罪者もコスパで動くマシーンみたいなものだから、扱い方は同じじゃないかな。

でも、弁当のコスパが急に悪くなってるとこから見て、客の扱い方も忘れてしまったんじゃないかなという気がしないでもなくて、そうだとしたらお手上げです。

毎日野菜を摂取するようにいいニュースを継続的に摂取

私は、なるべく野菜の多く入ったメニューを意識的に選ぶようにしているのだが、それと同じような感覚で、毎日、Enlightenment Nowという本を少しづつ読んでいる。

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress

これは、まだ日本語訳は出てないが、このブログに、章ごとの詳細な要約がある。

B073TJBYTB の検索結果 - shorebird 進化心理学中心の書評など

「ファクトフルネス」と似たような本だが、もっと厚くて「どう言う観点から見ても世界は良くなっている」としつこくしつこく言い続けてる本だ。

FACTFULNESS(ファクトフルネス) 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣

FACTFULNESS(ファクトフルネス) 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣

「ファクトフルネス」は、この伝わりにくいメッセージをどう伝えたらいいか誠実に考え抜いて練りに練ったもので、読者を自分の仲間にしていこうという優しさを感じるが、スティーブン・ピンカーは、なんだかちょっとキレ気味で、読者は論争相手だと思っているみたいだ。宮本武蔵が寝てる時に刺客に襲われても軽々やっつけてしまうように、ピンカーはいつ何時どこから反論されても、即論破して相手には情けをかけず一刀両断する。その分だけ、常に油断なくデータから実証的かつ多面的に論じていて、ぶ厚い本になっている。自分の目的にはこちらの方があっている。

「野菜は年に一度だけ食べません」とか言ったら、来年の健康診断の時に、栄養士さんに栄養指導の時に、相当怒られると思う。私は、数年前から健康診断の時に「栄養指導」といって、栄養士さんの面接を受けて、一週間分の食事のメニューをチェックされているのだが、ラーメンとか甘いものが多いとネチネチとしつこく注意を受けてしまう。

「それが好きだから」と言ってももちろん許してくれなくて、「あなたの体のために、少しだけ我慢して、なるべく野菜の多い定食とかを選びましょう」と言われる。言い方は丁寧だけど、有無も言わせぬ圧迫感で言われるので、この指導の時間が苦手だ。

感情的には納得できてないのだけど、この指導が必要なことはわかっている。自分の体は狩猟採集で10万年生き抜いた原始人のDNAからできていて、甘いものや油物がめったに手に入らない環境に最適化されている。だから、本能は「そういうものは全て摂取せよ」と命じるのだけど、現代の生活ではそういうものがいくらでも手に入るので、その本能を押さえて行動を変えなくてはいけないのだ。

「ファクトフルネスを一冊読んだら、当分その手の本を読みません」というのはダメだと思う。「Enlightment Now」はぶ厚いし、英語なので、1日数ページしか読めない。そこが自分にはちょうどよくて、毎日、毎日少しづつ読む。

自分の頭は、部族の中で10万年生き抜いた原始人のDNAからできていて、悪いニュースがめったに手に入らない環境に最適化されている。だから、本能は「そういうものは全て摂取せよ」と命じるので毎日毎日はてなブックマークツイッターを読んでしまうんだけど、その本能を押さえて行動を変えなくてはいけないのだ。

「Enlightment Now」には、各章にグラフが二、三個あって、もちろん全部データの出所が明らかになっている。グワーンと右肩上がりになるやつと、ふらふらしつつも長い目で見るとジワジワ下がってるやつかどちらかで、どのグラフも執拗に世の中が平和で安全になっていることを示している。こういう話はなかなか頭に入ってこないので、一年くらいかけて読み終えたら、もう一周しようかなと思っている。

ファクトチェックというより、必要なのは栄養指導だ。原始時代に、何かが毎年少しづつ良くなって、30年くらいで複利計算して倍増とか数十倍なんていうものはなかった。だから、そういう変化を見れないように人類ができているのは、よく考えてみれば当たり前のことだ。テロや通り魔や航空機事故は、「その辺にライオンがうろついている」という情報と相似形で、油物や甘いものと同じように我々をひきつけるし、摂取されたら長く人体の中に蓄積する。

でも、実際に今世の中を動かしているのはいいニュースで、「世の中は少しづつ少しづつよくなっていて長い目でふりかえって見るとその蓄積は相当なものだ」系の情報を基盤として考えることが、功利的にも実存的にも絶対必要だと思う。もちろんなにごともバランスは重要だが、今時、悪いニュースに不足するなんて心配はまず無用だろう。

21世紀には暴力のない「死」をイマジンしたい

「イマジンが20世紀を代表しているような意味で、21世紀を代表できる音楽」というのは面白い問いかけだと思って、少し考えてみたら、これを思い出した。

www.youtube.com

( ↑YouTube Premiumに登録するとみれます。今だと一ヶ月無料なので、登録してすぐ解除するのがオススメ)

この短いクリップの中で、コムアイはなんども「死と再生」を繰り返すのだけど、その「死」に少しも暴力の香りがなくて、エネルギーだけがあるのが新鮮で21世紀的だと思う。

そして、この音楽の中で、テクノロジーと自然が見事に融合している。

「融合」というのは、境界を壊すことだから、いかなるかたちでもいつも暴力的で、それは僕たちが境界を守ろうとしているからだ。境界を守ることが「生」であって、その努力を粉砕するのが「融合」であり、国境のない世界だ。「イマジン」が暴力的な言葉を喚起するのは、だから必然かもしれない。

しかし、「屋久の日月節(やくのじつげつぶし)」のミュージックビデオの中には、それがない。コムアイは菩薩顔で大地に溶け出し、またよみがえり、蘇るとまたすぐ死ぬ。すぐ死ぬことが重要で、「死」が次の「生」のタネにしかならないのは、暴力的だと思う。そういうのではなくて、「生」と対等の関係にある「死」が描かれている。

テクノロジーがそういう「死」に対して中立的であり、そういうタイプの「死」を表現するために使えるというのが、驚きだった。境界を守ろうとしてない人たちにとっては、テクノロジーはそういうもので、中立的なのだろう。そこに21世紀の可能性があるのだと思う。

Webの次はすでにいつでもそこにある

Webが死につつあると最近よく聞くようになってそうかもしれないと思いかけたが、IPFSを知って考え直した。

と言っても、IPFSがHTTPを置き換える未来を確信した訳ではない。ホワイトペイパーを眺めてみて、「最近は革命もお手軽にできるようになったもんだな」と思ったからだ。

IPFSの構想は壮大だが、その技術はすでによく使われているものの使い回しだ。DHTベースのP2P, BitTorrentベースのファイル転送、gitとほぼ同じデータ構造の組み合わせで、Filecoinという仮想通貨ベースのシステムで、データの永続性のためのインセンティブを与えるということらしい。

実装に使われたGo言語も含めて、全てしっかり実証された技術だけを使っているので、これはうまくいくだろうと思った。

しかし、たとえば、公開鍵暗号とか表計算のような、本物の天才のヒラメキは感じない。誰でも思いつきそうだし、ちょっと腕のある人なら誰でも実装できそうなものだ。この組み合わせがうまくいくなら、これを作った人は天才と呼んでもいいかもしれないが、公開鍵暗号の発明が数十年に一人の天才だとしたら、こちらは、一年に一人とも言えなくて、一年に10人くらいは、これくらいの人が出てきてもいいように思う。

でも、一年に10人くらいのレベルのそれくらいの天才の人にとって、今は、とても仕事がしやすい時代なのだと思う。DHTとBitTorrentとgitがすでにあって、その技術はソースコードレベルで公開されていて、それくらいの人なら、一瞬で自分の武器として使える。

つまり、世界は特異点を越えたのだ。特異点とは、ターミネータが人類に反逆する日のことではなくて、AIがAIを賢くする正のフィードバックがかかり始める日のことで、それと似たような意味で、過去の天才の成果物が現在の天才を支え、その現在の天才の成果が、明日の天才を超加速する、そのフィードバックが止まらなくなる日だ。

Webの未来を予測するには、衆愚の行き着く先ではなく、1年に10人くらいの天才のやることをウォッチすべきだ。数十年に一人の天才は、いつ生まれるかわからないし、何をするかわからない。でも1年に10人くらいのレベルだと、そういう人が継続的、安定的に生まれてくることは確実だ。そういう人たち同士の相互作用が、これからすごいことになって、IPFSくらいのレベルのプロジェクトを次々起こしていくというのが私の予測だ。

そういうものがどれくらい使われるようになるかは、GAFAがどれくらいEvilになるかにかかっていると思う。

GAFAが、何もしなくても今の独占的地位を保っていられると思うのが間違いだ。GAFAは、こういうIPFSのようなプロジェクトに追われているが、それに負けないくらいの勢いで革新し続けているので、今の地位を保っている。Evilになる暇はないしそれはよくわかっていると思うが、もし仮にEvilになれば、一瞬でそういう新顔に抜かれてしまうだろう。

GAFAが世界を支配しているそのすぐ下に、ダイナミックで不安定なレイヤーができていて、この層の厚みが一方的に増して行くというのが、これからの世界だ。これはプログラマだけに見えるいびつな世界観なのだと思うのだが、ご承知のようにソフトウエアは世界を飲み込むので、この世界観がスタンダードになるべきだと思う。

Webが使いづらくなったら、IPFSのような別の選択肢が注目を集め、注目を集めれば一瞬でスパークするだけの潜在的能力を持ったプロジェクトは他にもたくさんある。

そして、それらの屍をサーベイして、さらにいいものを作るであろう1年に10人レベルの天才は、今も生まれ続けている。その人たちは、IPFSの時よりもっと豊富な過去の成果をスタート地点として仕事を始めるのだ。

衆愚とGAFAだけ見ていてはWebの未来はわからない。そこに割り込んでいくる中くらいの天才の集団(の予選を勝ち抜いた人)の動きが最も重要で、むしろそれが一番重要なファクターになる特異点を越えたような気がする、というのが、IPFSを見て感じたことだ。

だから、Webがこれからおかしくなって崩壊することは充分あり得ると思っているだけど、それを待ってそこから飛び立つ人を世界はこれから必要以上に供給し続けると私は思う。それは感情的な希望的観測ではなくて、物理学の法則のようなメカニズムとして、何かが確立したような気がする。