ビットコインの時価総額=上級国民の不正蓄財の総計

ビットコインの一番面白いことは、誰でもマイナーになれることである。これは本当にすごいことなのだが、そのすごさがあまり理解されていないようだ。

誰でもマイナーになれるということは、悪い奴でもなれるということである。ただ、ひとつだけ条件があって、悪い奴でもかまわないのだが、利己的でないとダメだ。

マイナーというのは、ブロックチェーンのブロックとブロックをつなげる人のことで、これは簡単につながらない大変な仕事である。大変な仕事なので、うまくつなげたマイナーは手数料がもらえる。

たくさんマイナーがいる中で、手数料がもらえるのはただ一番運がいい一人だけで、他のマイナーはそこまでの計算が全部無駄になる。だから、ひょっとしたら、他のマイナーはそいつのしたことはなかったことにし、なんとか別のブロックを生かして、そいつが手数料をもらえないようにしてやりたいと思うかもしれない。

が、ここがビットコインのよくできている所で、「一番長いチェーンだけが生き残る」というルールがある。なので、その運のいいだけの奴がつなげたチェーンの次に自分のブロックをつなげないと手数料がもらえないのだ。ここで嫉妬心に負けたら立派なマイナーとは言えない。

ここで「あいつが手数料を受け取るのは癪だから、自分がもらえないくてもいいから、とにかくあいつのブロックは無視しよう」とか言う奴は、利己的とは言えないので、マイナーになれない。利己的というのは、純粋に自分の利益だけを考える人のことで、一つでも長い既存のチェーンに自分のをつなげる人のことだ。誰が前のチェーンをつなげてその手数料を受け取るのか、そういうことは一切無視して、とにかく自分の儲けだけを考える。そういう利己的な人間だけが良いマイナーになれる。

ビットコインのすごい所は、「マイナーは利己的な奴が多い」という仮定と「一番長いチェーンが生き残る」というルールだけで、チェーンをつなげるという大変面倒くさい作業が自然に回るようにしたことだ。

利己的でないマイナーも多少はいるかもしれないが、人の作業を無視するなら、自分はより多くのブロックをつなげないと手数料がもらえない。その間に、利己的なマイナーは、最新のブロックからつなげて長いチェーンを作ってしまうので、結局、利己的でないマイナーは脱落する。

ブロックには金のやりとりが書かれているので、ブロックのチェーンは、預金通帳のような取引の記録になる。そういう大事なものを利己的で悪い奴に預けられるということが、ビットコインのすごい所である。

普通は、金に関わるものは、公正な良い人にしか預けられない。利己的な悪い行員しかいない銀行なんかに金を預けたら、いっぺんでチョロまかされてしまう。

知り合いで銀行に自分の資産をくいものにされた人がいて、銀行のことを随分恨んでいて「銀行員なんてハイエナだ、ロクな奴はいない。約束を守らない」と怒っていたが、それでもその人も普通に銀行に金を預けていた。

銀行員にどれだけ悪い奴がいるかは知らないが、銀行員はしっかり管理されているので、ほとんどの行員は公正で良い人のように振舞い、金をごまかしたりはしない。

ただ、行員を公正で良い人のように振る舞わせるには金がかかる。普通の会社よりたくさんチェックをして、高いセキュリティの設備を入れて、監査とかそういうことを専門にやる人もたくさんいる。監督官庁も人と手間をかけ、より厳密に監督する。こういうことをきちんとするには、全部コストがかかる。

なにより、給料を多めに払って社会的なステータスも高くしておき、「ここをやめたら大損」と思わせないと、いろいろな誘惑に負けてしまう。

公正で良い人がいないと回らないシステムには金がかかる。利己的で悪い奴にまかせられるシステムは、それよりずっと安い。

だが、ブロックチェーンには弱点もあって、それは、電気代がやたらかかることだ。チェーンをつなげるためには、大変な電気代がかかる。

これは、改良しようがない欠点であって、なぜかと言うと、電気代がかかるようにしておかないと、利己的でないマイナーが長いチェーンを作れてしまうからだ。長いチェーンが何本もできるとビットコインは破綻してしまうので、誰かのつなげたチェーンにみんなが乗っかってくれないと困る。そのためには、チェーンを一個つなげるだけで電気代がかかるようにしておく必要がある。

つまり、これは、電気代を取るか、公正で良い人を抱えるコストを取るかのトレードオフなのだ。

電気代をかけないでチェーンをつなげるプライベートブロックチェーンという方法もあるが、そのためには、マイナーが公正で良い人だという保証が必要になる。意味ある問いは、電気代 or 良い人?だ。

そして、良い人というのは、言葉を変えれば、メンバーシップ管理である。良い人というのは実際にはいないので、メンバーを選抜して、アメとムチで、メンバーに良い人であることを強制する必要がある。

メンバーシップ管理というのは長年行なわれてきて、やり方も広く知られているが、どうしても腐敗と非効率をゼロにはできない。一回中に入ると、惰性で改善を怠ったり、誘惑に負ける者もいて、そういうのを完全に排除することはできない。銀行を恨んでいる人の話をよく聞くと、別に法律的に不正なことをされたり契約不履行をされたわけではない。表面的には公正でリーガルだが、その人にとっては許しがたいことをされたという話で、メンバーシップに権力を与えるとどうしてもそういう話が出てくる。

金融機関というのは、小さい悪いことはしないが、やる時は大きいことをやる。窓口で現金をチョロまかしたりはしないが、インサイダーとか破綻とか、世間をゆるがすようなことをたまにする。

あってはならないことが、本当にないなら、メンバーシップの管理の方が安くなるし、あってはならないことはあってはならないので、コスト計算には普通入れない。だから、あってはならないことのコストは普通勘定に入ってないが、実際にはあってはならないことは起こるし、それを処理するコストは利用者が負担することになる。

利己的な人間の集団は、あってはならないことをあまり起こさないのだが、それはなぜかと言うと、「フォーク」ができるからだ。「フォークされる可能性」が暗黙のプレッシャーとなって、ガバナンスとして機能している。これはリナックスなどのオープンソースソフトウエアと同じだ。

リナックスはフォークができる。つまり、リナス・トーバルスが何か変なことをしたら、別のリナックスを誰でも次の日に作ることができる。その次の日からは、本家と分家でどっちが開発者をたくさん集めるか競争する。オープンソースソフトウエアがうまく行くのは、うまく行かなかったプロジェクトはフォークしてつぶされるからである。つまり、リナックスは、実際に開発に携わっている人たちだけがコントロールしているのではなく、潜在的に世界中のプログラマから監視されているのである。

ビットコインも同じで、誰でもマイナーになれるということは、誰でもマイナーをやめて他のコインに移れるということだ。ビットコインの台帳は全部公開されているので、誰でも俺様コインを作ることはできる。作ることは容易だが、関門はその次の、人を集める段階にある。俺様リナックスも同じだ。俺様コインも俺様リナックスも作ることは容易だが、本家に集っている人や金をうばいとって、自分の所に集めることは大変だ。普通はできない。

ただ、本家が誰の目から見てもおかしなことをやっている場合は別だ。改良を提案して、その改良点を評価する人が多ければ、フォークした新バージョンに人が集まる。ここで本家が反省して、その改良点を真似すると、また本家に人が戻ってしまう。フォークしてそこに継続的に人を集めるのは実際は大変なのだが、それは、出入り自由なら本家が反省するからだ。実際には、本家はフォークされる前の提案の段階で先に反省する。つまり建設的な改良案は全部取りこむし、そういう姿勢を明確に打ち出している。潜在的なフォークに先回りして対応することを本家が強いられているということが、フォークによるガバナンスと私が呼んでいるものだ。

メンバーシップで管理されている本家は、あまり反省しない。痛みをともなう改良などはたいてい握りつぶしてしまう。

だから、オープンソースの本家は、大半の利用者から見て納得できるようなまともな運営が行なわれているのだが、それは、本家の中の人が特別崇高な意思を持っているからではなく、「フォークされる可能性」によるガバナンスが機能しているからである。

ビットコインもそれと似た、潜在的な監視を利用者やマイナーから受けていると思う。ブロックチェーンのフォークにはマイナーだけでなく、開発者や利用者の自由参加も必要だが、それも最終的にはマイナーが自由参加できることで担保されている。手数料を取りすぎたり、特定の人を優遇したりするようなことがあれば、フォークされてしまう。中の人はあやしげな人もいそうだし、多少はなんかやってるかもしれないが、やり過ぎるとフォークされてつぶされることはわかっている。

「あってはならないこと」が見えているのに、それを無視したら、間違いなくフォークされるだろう。

フォークが実際に起きる時は、関係者一同集まっても意見が割れる時で、それは不確実性があって実際に両方試してみることが必要な場合に限られる。フォークはめったに起こらないが、実際に起こらなくても、「あってはならないこと」を起こさないための抑止力としては、日常的に機能している。

フォークの抑止力によるガバナンスは、メンバーシップによるガバナンスと対照的で、小さい所ではあまり機能しない。ビットコインの中の人は、銀行員なんかよりはずっと細かいムダやズルをしていると思う。しかし、「あってはならないこと」を起こさないという点では、ずっと信頼できる。

結局、ビットコインの発明とは、電気代をうんとかけると、悪い奴、利己的な奴を集めるだけで、「フォーク可能性」によるガバナンスのある台帳管理が可能になるということだ。

これがよいものかどうかは、これが置き換えようとしている「メンバーシップによって良い人を強制することによる管理」が起こす「あってはならないこと」の総コストとの比較になる。

これまで、メンバーシップによる管理以外ではまともに回らないものがたくさんあった。だから、それにはどんな弊害があっても必要悪として見過ごされてきた。それを公正に効率的にするための不断の努力は行なわれているが、一定の弊害はあってもしかたないものとされた。それが、これから見直されるのだ。

弊害が大きいというコンセンサスが得られたら、メンバーシップによる管理はやめて、ブロックチェーンに移行するという選択肢がある。もちろん、それが社会に与える影響もとんでもなく大きいものになるが、弊害のレベルによっては、移行すべきだと考える人が多数になるかもしれない。

乱暴にわかりやすく言ってしまえば、ビットコインにどれくらい金が集まるかは、上級国民が今一般国民からだましとっているお金次第だということ。

ビットコインにはPERのような価格のための指標がないと言われるが、上級国民の不正蓄財の額が PER と似たような基準になると私は思う。

不正蓄財が電気代と同じような額なら、ビットコインに移行するメリットはないので、ビットコインには実需はない。不正蓄財がたくさんあれば、電気代をかけても移行することで、経済の循環がよくなるので、ビットコインには実需がある。そして、不正蓄財の額が大きいほどその実需が大きくなる。

不正蓄財と電気代の差額の何パーセントかが、ビットコイン時価総額の理論値になるだろう。

ただし、既存の不正蓄財を掃き出す圧力になるということは、ビットコインへの風当たりも大変なものになるわけで、最終的には理論値に収束するとしても、そこへの道筋はまっすぐなものにはならないだろう。


それと、余談として、ビットコインの匿名性について。

ビットコインは匿名性が高くマネーロンダリングの温床になっていると言われている。これはその通りだとは思うが、この匿名性も従来の匿名性とは意味が違う。

ビットコインでは、全員の銀行通帳が全部アップロードされていて閲覧可能になっている。ただし、口座番号があるだけで、氏名や住所の欄は黒塗りになっている。この黒塗りが絶対に剥がせないという意味では匿名性は高いのだが、取引の相手先、日時、金額は、全部計算機処理をしやすい形でアップロードされている。もし「このビットコインアドレスはAさんのアドレスだ」という情報が流出したら、Aさんの銀行通帳が公開されたのと同じわけで、本当に匿名性が高いと考えてよいのかについては、私は疑問である。

ビットコインアドレスは誰でも無数に作れるので、取引のたびに生成すればよいと言われているが、当人のウォレットには保存しておかないといけないので、強制捜査などでそれを入手できた場合、得られる情報は紙の通帳より多いのではないだろうか。ウィルスやハッキングによる流出でも同じだ。

秘密鍵はきちんとやれば隠しておけるが、ビットコインアドレスは、金を受け取るためには相手に教える必要があって、 普通の社会生活をしていたら、これを隠し続けることは難しいような気がする。しかし、これを知られるのは、通帳を半分公開するのと同じで、匿名性が高いというより、とても重要だが非常に流出しやすい個人情報と考えるべきではないだろうか。

アドレスやコインをたくさん使って、複雑化することもできるが、ディープラーニングとか使えば、一発で犯罪者特有のパターンとかを抽出できそうな気がする。