仮想通貨リテラシーで重要なのはブロックチェーンより公開鍵暗号

ビットコインにおける革新はPOWだ。しかし、ビットコインの中では公開鍵暗号という技術も使われていて、ユーザ側から見て重要で理解すべきなのはむしろこちらの方だと思う。

これはちょうど、自動車において、一般ユーザにとっては駆動系より電装系についての知識や常識の方が重要であることと似ている。

「エンジンがかからない」と言われたら、まずセルモーターが回っているのかそうでないのかを確認する。たいていの場合、エンジンの異常ではなくてセルモーターが回らなくてエンジンがかからないので、次にバッテリーが上がってないか確認するために、ライトやラジオをつけてみる。バッテリー切れなら、友達を呼んでブースターケーブルで電気を借りる。

つまり、通常よくあるトラブルに対処するのに必要なのは、電気系の知識だ。

バッテリーの問題ではなくて、本格的にエンジンがおかしいとなれば、JAFか修理工場に電話する。つまり素人にできることはほとんどなくて、専門家に来てもらわないとどうにもならない。自家用車を運転するなら、その切り分けはできた方がいいと思う。

しかし、たとえばメーカーの人は、他社の新車を見る時に、最初にどこを気にするかと言えば、やはりエンジンだろう。

これと似たような視点のズレが、仮想通貨にもあって、専門家が気にするのはPOWだ。もっと正確に言えば、Proof of Work という新しい方法による、創発的な合意形成による分散DBの一意性確保だ。これが革新的で従来になかった発想なので、賛否はいろいろあるが、専門家はビットコインと言えば、まずPOWの話をする。

これと比較すると、公開鍵暗号の使われ方は、常識的で定石通りで何も目新しいことがない。電子署名とかハッシュとか古くから使われている技術を今まで通りの使い方で使っているにすぎない。

だけど、一般ユーザにとってエンジンよりバッテリーの理解が重要で役に立つのと同じように、仮想通貨を使うためには、POWとかブロックチェーンそのものより公開鍵暗号の理解の方がずっと重要だ。特に安全に使うには、これをわかっている必要がある。

そして、重要な違いとして、公開鍵暗号という技術は、これまで広く使われてきたが、鍵の管理がユーザにまかせられているという状況は、これまでなかった。なので、これについて啓蒙することが急務であると私は思う。

と言っても、理解すべき点は非常に単純なことだ。公開鍵暗号とは、閉める鍵と開ける鍵が違う金庫のようなものだと考えればいい。

店員がその日の売り上げを店の奥にある金庫に入れて、翌朝、オーナーがそれを開けて銀行に持っていくとする。オーナーは店員に合鍵を渡さないといけないのだが、入ったばかりのバイトにまで合鍵を渡すのは不安だろう。そうなると夜のシフトは、古顔の信頼できる店員にしかまかせられないことになる。しかしもし、閉める鍵と開ける鍵が違う鍵ならば、開ける鍵はオーナーだけが持っていて、店員全員に閉める鍵の合鍵を渡しておけばいい。閉めるだけの鍵なら、極端に言えば泥棒に渡したって問題ない。

仮想通貨では、閉める鍵が口座番号のようなもので、公開鍵と言う。これは誰に見られてもかまわない。

開ける鍵は、秘密鍵と言って、ある口座から出金する時にはこれが必要になる。ハンコのようなものだ。

仮想通貨を使うには、最初に閉める鍵と開ける鍵のペアを作ることが必要で、開ける鍵、つまり秘密鍵の方を誰にも見られないように厳重に保管しないといけない。私が考える一番重要なリテラシーとは、実はそれだけの話だが、それだけでもない。

秘密鍵は、コンピュータから見ると一つの数字なのだが、人間から見ると数千文字の謎の暗号で、これを覚えることはとてもできないので、ファイルとしてコンピュータの中に保存することになる。このファイルが壊れることがハンコを紛失することで、このファイルをどこかにコピーされることがハンコを盗まれることだ。

だが、仮想通貨においては、秘密鍵がハンコ以上のものだ。

ハンコと違って、秘密鍵の紛失と盗難には一切の救済措置がない。セーフティーネットが何もなくて、金が消える。何百億円でも一瞬で消える。

ハンコが盗まれても、銀行の窓口で犯人の挙動が怪しかったらチェックされるし、監視カメラに残る。何かの売買契約に偽造したハンコを押されてしまったとしても、裁判したり取り戻す方法はある。仮想通貨にはそういう救済措置が全くない。

ブロックチェーンとは、「Aの口座からBの口座に千円送ります」と書いてAさんのハンコが押してある紙が何千枚も束になったもので、このハンコが正しいかの検証は、さすがコンピュータで、一切の間違いなく確実にやってくれるが、ハンコが正しかった場合、つまり、このハンコを押す時にその押した人の手元に秘密鍵のファイルがあった場合には、この伝票をチャラにすることはできない。

仮想通貨のリテラシーとは、この「ハンコを押したら絶対にチャラにできない」ことの容赦の無さを理解していることなのだと思う。

ご存知のように、ハードディスクは壊れるものでパソコンはウィルスにやられるもので、大事なデータに限ってディスクが壊れ、大事な用事をしている時に限ってパソコンは動かなくなる。

だから、秘密鍵を自分で管理するのはあきらめて、取引所という専門家にまかせた方がいいと思うのだが、その時に、自分が何を預けていて取引所が中でそれをどう扱っているのか理解することがリテラシーだと思う。

あるいは、口座を分散して、入れる金額に応じて相応のレベルで秘密鍵を管理することが必要だ。その場合、取引所に長期的に大金を預けることはなくてウォレットというソフトを併用することになるだろう。ウォレットは鍵ペア、つまり口座を作ることもするし、それを用途別に複数作ることもする。本格的に仮想通貨を使う場合は、ここで中で何をやっているかの理解も必要だ。

いずれにせよ、秘密鍵の盗難と紛失には、一切の救済措置がない。

これが、従来の通貨というか従来の金融資産と一番違う所で、これは人間には扱えないものではないかという気もするが、これから無数の仮想通貨ができて、誰もが複数の仮想通貨に分散して、自分の資産を持つことになると思う。その結果、一つの通貨の一つの口座における秘密鍵の盗難と紛失は、我々が今考えるほど致命的な事故ではなくなって、そうなればなんとかなるような気もする。