東電を責めるな!

結局、事故を起こした原発の処理は、完全試合を要求されたピッチャーのようなものだ。一つのミスも許されない。普通「一つのミスも許されない」という言葉は、一つや二つのミスが許される場面で使われるが、この場合は文字通り、一つのミスも許されない。

確かに、報道されている内容はお粗末な話ばかりだ。だがこれが、「限りあるリソースを燃料の冷却処理に優先して割りあてる」という決断の結果であったなら、少なくともその決断自体は正しい決断で責めるべきではないと思う。事故起こした1号機から3号機の炉内と、核燃料プールの冷却が止まることは、タンクからの漏出よりはるかに大きい問題を起こす。

もし、最初から「燃料棒の外に出た燃料を○○年間冷却する施設を作れ」と明確な要件を与えてあれば、立地からひとつひとつの部品から材料から全部吟味して、何十年も人が近づけない燃料を冷却し続けるプラントを作ることはできるかもしれない。

しかし、現実の福島第一は、「何があっても燃料は五重の壁に封じこめられている」という前提で設計、施工された設備だ。それを、ある日突然、何の前触れもなしに、むきだしの燃料の冷却に転用して使っているわけで、そんなものうまくいくわけがない。

予想外の問題が次から次へと起きて、その全てを完璧にこなすことは不可能だろう。

東電でなければもっとうまくやったとは思うが、しかしもし、別の組織ができていたとして、それが汚染水をうまく処理していたら、おそらく「予算の使い過ぎ」という批判が起こるだろう。この問題が起こるまでは、多くの人にとって「原発はすでに終わったこと」だったように感じる。

質のいい人員と膨大な予算の確保は、燃料の撤去までは必要で、それはかなり甘めの見積りでも20年から30年かかる。30年も前の事故の処理、何も利益を生まない作業に途方もない予算が割り当てられていて、しかも何十年も何も起こらなかったら、「無駄遣いだ」と感じる人がほとんどだろう。

タンク一つとっても、事が起きてはじめて、もっと良い材料で作りしっかり監視すべきだったことは理解できるが、それを汚染水生産のスピードに合わせて新設し、着実に運用していくことは途方もない費用がかかるだろう。東電がそれを事前にやっていて問題が起こらなかったら褒められるかと言えば、間違いなく予算の無駄遣いと批判されていたに違いない。

タンク以外にも、やむをえず後回しにされているそういうことがたくさんあるはずだ。

原発では燃料は五重の壁に守られているから絶対安全」という言葉は大嘘だったが、これは「燃料が外に出ることはそれだけで大変なことだから、絶対に封じこめておこなければならない」と受け取るべきなのかもしれない。福島第一は、事後の処理で東電がヘマをやったから破綻したのではなく、燃料が五重の壁を出た瞬間に破綻していたのである。

30年以上、汚染水処理を正しく遂行できる社会システムというものを、私は想像することができない。東電よりもっとうまくやる組織はいくらでも想像できるが、無事故を維持し続けるその組織を、長期間支援し続けることができる社会というものを、私は想像することができない。

原発にもよいことが一つだけあって、純粋に工学的な意味ではかろうじて成立しても、社会的に成立し得ないこのシステムを無理に運用することによって、その社会のもともと持つ歪みが強調され明確に見えてくることだ。そういう診断の為のツールとしては、非常に有用だと思う。


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