librahack問題とホメオパシー問題はどちらも専門家コミュニティと社会とのコミュニケーションの問題

タイトルで言い尽くしてしまっているので、twitterに投稿した方がよかったかもしれないけど、構造に共通点があるように感じた。

  • 専門家コミュニティ内部の議論としてはほぼ解決している問題
  • しかしその結論を社会全体の合意とすることができてない
  • 感情的反発があるが議論の論点がなかなかかみあわない

librahack問題は、直接、社会 VS 専門家という対立構造にはなっていないが、警察や図書館が「クローラを作成した人にも問題があった」という無理な強弁をするのは、漠然と世論の消極的な支持は得られるだろうという読みがあるように感じる。そして、その読みは、それほど間違ってないように私は感じる。

だから、これは私の(被害妄想的な?)印象論でしかないが、いくつかある明解な問題の背後に、底流として、世論が専門家コミュニティに対して抱く漠然とした不信感があるように思うのだ。

ホメオパシー問題もいろいろな角度から見ることができるが、一つの大きな問題は「どうして専門家コミュニティの警告に耳を貸さない人がこれほど多くいるのか」ということだろう。

そこで、専門家コミュニティの側は、自分たちの主張をできるだけわかりやすく説明して、一般の人の知識を深め啓蒙しようとするのだが、その努力が実らないというより逆効果になっているような気もする。

専門家コミュニティというのは、議論の土俵に乗る上で、一定の専門知識を要求する。それは、専門家の側から見れば「誰にでも理解できる単純なこと」なのだが、現実的には、その敷居が多くの人を排除してしまうことになる。「これだけ言ってわかならないなら、あなたが勉強してくれないと話にならない。でもいずれにせよ正しいのは自分の方だ」ということになる。

それで専門家集団が、全員100%問題ないかと言えばそんなことはなくて、常に、知識の差を悪用して、不当な利益を得たり、感情的優位に立つ為に使う人間も、割合は少ないとしても、必ず存在する。

素人の側から見ると、そういう悪い事例が典型的なケースとして見えてしまうので、専門知識の有無によって人を排除する集団の内部の合意は信用できない、ということになる。悪い事例が典型例に見えてしまうということだ。

これと同じ構造の問題は、これから他の分野でも増えてくると思う。世の中が高度な専門的知識を中心に動くようになれば、あらゆる分野に専門家集団が必要で、専門家集団は、知識の有無で人を排除しないと、その機能を保てない。そして、どんな集団にも悪い奴は一定の割合で存在する。

だから、この二つの問題に限らない一般論として、専門家と非専門家のコミュニケーションの回路を、「啓蒙」以外の手段で作ることが必要なのではないかと思う。「啓蒙」だけでは、専門家側に立つ人を増やすことはできるが、そこに入れない人の不信感を増してしまうことになる。



一日一チベットリンクダライ・ラマ、ツイッターで中国ユーザーと「つぶやき交流」へダライ・ラマ法王、中国人とツイッターで質疑応答