実は飲食店は他が見習うべき先端の業種になってるのでは?

小さなお店のツイッター繁盛論 お客様との絆を生む140文字の力
小さなお店のツイッター繁盛論 お客様との絆を生む140文字の力


外食チェーンは、個人経営のレストランや喫茶店が一般的であった時代に、そういう商売とは縁が無さそうな、工場の生産管理や大規模組織の運営ノウハウを、外食という領域に持ちこんで成立した業態ではないかと思う。

それによる低価格で均一のサービスが提供できるようになって、個人経営の店は激減した。雑貨店や八百屋、魚屋等とコンビニの関係も同じだと思う。

村上春樹の「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」のあたりには、「システムと見込みの無い戦いを続ける個人」というモチーフが繰り返し出てくるけど、80年代に、そういうシステムや中央集権的な組織の圧倒的な力によって町の様相が一変していく様を見ていると、世の中から「個人の顔」というものが消えていくのは、もうどうしようもない既定事実のような気がしたのを思い出す。

そういう、ここ数十年の流れが今、逆転しつつあることを、この「小さなお店のツイッター繁盛論 」を読んでいると感じる。

これは、数多くあるtwitter関連の本の中でも、対象と内容を絞った本だ。対象は飲食店の経営者で、内容は、そういうお店がtwitterをどう使ったらいいかについての、具体的なノウハウだ。

私は、飲食店業界には縁が無いし、食べ歩きとかもあまりしないので、この本のターゲットからは完全に外れた人間なのだけど、この本は非常に面白く読んだ。

特に面白かったのが、「勝手口アカウント」という考え方だ。

著者の中村 仁氏が経営する豚組では、@butagumiという公式アカウントの他に、社長個人の@hitoshiというアカウントを持っている。

公式アカウントは複数のマネジャーが交代で運営していて、お店からのお知らせを流し、予約を受け付ける。twitter上でのやりとりは第三者にも見られてしまうので、DMで予約したい人も多いだろう。だから、このアカウントでは原則として全件フォロー返しをする。

それに対して、勝手口アカウントの方は、店(企業)というより社長個人のアカウントで趣味のことや個人的なつぶやきも流す。フォローするのは、中村氏が「きちんとコミュニケーションを取れる範囲」に限定している。機械的なフォロー返しはしない。

でも、@hitoshiは仕事と関係ない個人的なアカウントでもなくて、ここで予約も受けるしメニューやイベントの相談にのったりもする。

これは、非常に実用的なノウハウであると同時に、潮の流れの逆転を鮮やかに示している、一つの思想であると私は思う。

つまり、今まで組織は、均一で誰に対しても同じ対応をして、全ての商品を同じ品質でいつでも安定して届けることに価値があって、粒の揃わない個人の顔は、少なければ少ない方が良かったのだ。極端に言えば、そこに人間がいなければ、それが一番いいということ。

これを、どんなに非人間的であると非難しても、実際には、人はブランドのあるチェーン店で食事をして、コンビニで弁当を買う。均一な機械であることが正義だったのだ。

「勝手口アカウント」は、完全に商売の為のものであり、売上を伸ばすための工夫をいろいろしながら運営しているが、中村氏が自分で自分のタイムラインを見て、それが楽しくなるように使うという、twitterの原則も忠実に守っている。

組織の一員としての顔と好き嫌いや感情がある個人の顔が、一つのアカウントの中に同居している。というより、人間が組織の中で働く以上、それを分ける方がもともと無理なことではないか、というような開き直りがそこにあるように思う。

ソフトウエア開発で言えば、オープンソースソフトウエアの開発が、この「勝手口アカウント」になるだろう。

ソフトウエアを発注する時に、組織として大規模なシステムの開発経験があって、継続的なサポートが期待できるのと同時に、社員が個人として尖ったオープンソースのソフトウエアを開発をしていて、そこでのコミュニケーションの様子やソースコードの中に自然と表れる技術力を両方見ることができれば、一番安心だと思う。

オープンソースの側の勝手口から知り合って、そこから関連する仕事を発注することができれば、公式のプレゼンや見積りでは表現できない、システムのあやみたい微妙なレベルまで納得し合って、双方が深く納得した関係を短期間で築ける可能性が高いと思う。

そういう「勝手口としてのオープンソース」みたいな事例は、この業界ではまだあまり聞かないが、これらだんだん広まっていくような気がする。

仕事の内容によって「勝手口アカウント」みたいな仕組みを持ちやすい業種とそうでない業種がある。飲食店は、一番それが自然に持てる業種だ。だから先行しているわけだが、「勝手口」を持ちにくい業種でも何とか工夫して個人の顔を表に出さないといけなくなってくるのではないだろうか。

ちょうど、「生産管理」になじまない外食という領域に、外食チェーンが進出していったように。

前衛が大きな工場であり、大きな工場の中でやっていることをみんなが一生懸命真似した時代が逆転して、今の前衛は個人経営の飲食店になっているのだ。

今度は、飲食店という業界の最先端の「勝手口アカウント」という発想を、他の業種や大規模な組織が悩みながら取り込んでいく番なのだ。

つまり、組織の中で活動する時に、どうやって個人の顔を前に出し、その個性や感情と組織の機能を調和させていくか。それがあらゆるジャンルで問われているのだと思う。


当ブログの関連記事: ポータル的な外食産業は消えてブログ的な「街の喫茶店」が復活する - アンカテ

これまでは、知らない街で食事をすることになったら、とりあえず有名チェーンに入るというのが安全で手軽な方法だったのですが、これ からは、とりあえず twitter で「このへんでおいしい所知らない?」と聞いてみれば、そういうタイプのブログ的な店を簡単に見つけら れるようになるのかもしれません。

今はほぼ実現していることですけど、これを書いた2年半前には夢みたいな話だったんですよね。



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