一直線に目的に殺到するようなビジネススキルはもう流行らない

自分なりに解釈すると、英語との出会いが、その人にとって英語とは何か、ということを決めてしまうということだと思う。そういう意味では全く同感である。

私にとって英語との出会いはビートルズだった。レコードを買う小遣いもないので、エアチェックといって、ラジオ番組をカセットテープに録音して、そのテープを繰り返し聞いていた。歌詞カードも無いので、音だけで聞いて覚えて一緒にわめいていたけど、ロックンロールのリズムにのって響く英語のサウンドはとても気持ちいいものだった。

それを学ぶことによって、幼児的なものの見方から抜け出して、風通しのよい、ひろびろとした場所に出られるという期待が人をして学びへと誘うのである。

自分にとってビートルズはまさにそれであって、その経験が、私にとって英語が何かということを決めたと思う。忌野清志郎の「トランジスタ・ラジオ」は、そんな気分をうまく表現してくれている。

確かに、そういう出会いは、その人の英語にまつわる経験を形作ってしまうのではないかと思う。

私が最初にもらった、英語のメールは「あなたの公開したソフトで、自分のホームページを作ったよ。ありがとう。よかったら見に来てくれ」というもので、見にいったら、それはポルトガル語らしき自分には読めない言語で書かれたページで、その人のメールアドレスは.comだったので、結局、最後までその人が何人だかわからなかった。

「英語のメールを書く人はアメリカ人」とばかり思いこんでいた私は、その一件でいろいろなショックを受けた。

  • アメリカ人じゃなくても英語を書くんだ!
  • 相手が何人かわからなくてもメッセージの交換ができるんだ!
  • 英語を書く人の中にも偉人じゃない普通の人もいるんだ!

最後のは説明がいると思う。当時の主な英語体験は、厳選された技術書(珠玉の言葉のオンパレード)を読むということだったので、英語=平易に複雑な内容を表現する天才が凝縮された表現の為に使う言語、という変な刷り込みが知らないうちにできていたのだが、それがふっとばされてしまった。

このメールが英語の原体験である私は、英語が世界の標準語であるということを、体で実感できていると思う。自分の英語は学力的に言えばぜんぜん大したことはないのだが、「風通しのよい、ひろびろとした場所に出る」為の最低限の用には使えるので、私はぜんぜん気にしてない。

そして、その英語メールの原体験は、一番最初のビートルズを介した幸運な英語との出会いがもたらしたもののように、自分には思える。

「そういう可能性を全部塞いでしまうのはよくない」と内田樹さんが言っているとしたら、それには全く同感なのだが、二点、疑問がある。

  1. 企業は、社員が英語とどういう出会いをしたのか=英語を開かれた道具として使える可能性、を気にしないものかどうか
  2. それは、英語だけではなく、ありとあらゆるビジネススキルについて同じように言えることではないか

最近のビジネスというのは、情報やアイディアをつなぎあわせて、新しい可能性を探るというような仕事の重要性が高まっている。そういう現場では、視野を広くして、心が開かれてないと、なかなか意味のある成果を生み出せない。

学びというのは、「謎」によって喚起されるものだからだ。
自分の手持ちの度量衡では、その意味も有用性も考量しがたい「知」への欲望が学びを起動させる。

まさにそういう種類の「学び」の中から価値が生まれる。利益率の高い企業は、大なり小なり、そういうことを意識している。

ビジネスというのは、基本的には、成果のみで判断されるものだ。

内田樹さんが言うような「知」や「謎」を最初から意識している経営者は少ない、むしろ例外だと思うが、経営者というのは、自分が最初から持っているつまらない信念より、環境からのフィードバックを重視する。そうでないと脱落してしまう。

今の経済は、知識や知恵でできあがっているので、そういうフィードバックがきつくかかる。

日本では、グローバルな経済から来るそういうフィードバックを遮断する障壁がまだ強く残っているので、どちらかと言うと、「知」や「謎」を探求するより、視野を狭めて馬車馬のように働くことを重視する経営者が多いかもしれない。だから、経済がどんどん悪くなる一方で、何も展望が開けない。

しかし、それは一時的なことで、結局は同じフィードバックを受けざるを得ないと私は思う。

ビジネスの現場では、スピードが求められるので、内田樹さんが言うような時間をかけた熟成は許されないことが多い。しかしだからと言って、「謎」をバイパスして得られる知では、もはや役に立たないのも確かだ。

時間軸方向での試行錯誤を人海戦術に置き換えて、たくさんの人がそれぞれの道を探りながら協調していくような、空間軸方向への試行錯誤は、むしろ、現代の重要な経営のテーマになっている。

このエントリで紹介した、ゲイリー・ハメルの「経営の未来」という本では、それがメインテーマとなっている。

経営の未来
経営の未来

目的と報酬に向かって一直線に殺到するようなタイプのビジネススキルというものは、利益率の高い企業では、もう求められていないと思う。

スキルや資格にこれからも意味があるとしたら、「今自分が何であるか」を確実に保証する保証書のようなスキルではなくて、「自分がこれからどれくらい会社の試行錯誤の幅を広げられるのか」という可能性を示すものになるだろう。

「君の知らないメロディ」や「聞いたことのないヒット曲」をキャッチし続ける「トランジスタ・ラジオ」を内ポケットにいつも秘めているような人をこそ、今の企業は必要としている。


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