ACIMという不思議なテキストについて

A Course in Miracles
A Course in Miracles

ここ数ヶ月、ACIM(A Course In Miracle)というこの本を少しづつ読んでいます。

非常に不思議な本なので、是非このブログで紹介したいと思っていたのですが、いわゆるスピリチャル系ということもあって、どう紹介したらいいのか悩んでいるうちに、こんな架空の対話を思いつきました。

  • エハラ: 「あなたのパソコンはウィルスに感染していますよ」
  • オオツキ: 「ええっ、それは大変だ。そのウィルスはどこにあるんですか?」
  • エハラ: 「ブートセクターです」
  • オオツキ: 「なんですかそれは?聞いたことがないな。とにかくそのウィルスのあるディレクトリを教えてください。\windows\system32ですか?それとも\Program filesの下ですか?」
  • エハラ: 「ブートセクターはディレクトリで示すことはできません」
  • オオツキ: 「それはどういうこと?ハードディスクの中にあるものじゃないんですか」
  • エハラ: 「ブートセクターはハードディスクの一部ですが、ディレクトリやファイルという構造の外にあるので、パスを示すことはできません」
  • オオツキ: 「それはおかしい、ハードディスクの中にあるデータは、必ずどこかのディレクトリに所属していてパスで示すことができるはずです」
  • エハラ: 「ハードディスクをファイルとディレクトリの集りとして見る見方は一つの約束でしかありません。日常生活はそれで困りませんが、本当はハードディスクはそういうものではないのです」
  • オオツキ: 「では、ファイルとは実体ではないとおっしゃるんですか?」
  • エハラ: 「ハードディスクは本来は1と0をたくさん記録するだけのものです。我々はそれを特定の決まり事に従ってファイルとディレクトリという形に分割して扱っているだけのことです。本当はハードディスクというものは、非常に多くの1と0が連続的に集まったものでしかありません」
  • オオツキ: 「うーん、どうも言ってることがわからないな。ともかくそのブートセクターって奴を私に見せてくださいよ」
  • エハラ: 「それでは、あなたのハードディスクのブートセクターをファイルに落としてあげましょう。はい。この\temp\boot1というファイルがあなたのブートセクターです。これを調べればウィルスに感染していることがわかりますよ。\temp\boot2が感染してない正常なブートセクターです」
  • オオツキ: 「その二つのファイルが違うことはわかるけど、それにどういう意味があるんですか?これがあなたのでっちあげたデータでないことを証明できますか?」
  • エハラ: 「それでは、ブートセクターを扱える別の人に頼んでみますね。ミワさん、お願いします」
  • ミワ: 「はい、どうぞ。\Documents and Settings\otsuki\My Documents\bootに落したわよ」
  • オオツキ: 「ちょっと待った。やっぱりあんたたちは怪しいな。『ブートセクターってものを見せろ』と言うと、一人は\temp\boot1がそれだと言い、もう一人は\Documents and Settings\otsuki\My Documents\bootだと言う。同じ実体を示しているのに、パスが一致しないのはおかしいじゃないか」
  • エハラ: 「あなたに見せているのはブートセクターそのものじゃありません。あなたにはブートセクターそのものを直接見ることはできないので(本当はできるんだけどそう思いこんでいるので)ファイルとディレクトリの世界に仮に移しかえて見せているだけです。パスは違っても中身は一緒ですよ」
  • オオツキ: 「そのファイルをよく調べてみたけど、特殊な属性も設定されてないあたり前の512バイトのバイナリーファイルだ。何も特別なことはない」
  • エハラ: 「ブートセクターそのものはハードディスクの中で特殊な役割がありますけど、そのファイルはみなさんが作成するファイルと全く同じものです。でもブートセクターというものは存在するし、ファイルやディレクトリはファイルシステムという約束事、便宜としてしか存在しません。ハードディスクが分割されているように見えるのも幻想で、本当は連続したビットの固まりなのです」
  • オオツキ: 「いいや、あなたがなんと言おうと私はファイルシステムの中で根拠を示されないことは信じることはできない」

これは、パソコンに詳しくない人から見ると、エハラという詐欺師がオオツキという人を騙そうとしているように見えるかもしれませんが、実はこのエハラ氏の言っていることは筋が通っていて、充分あり得ることです。パソコンの中には本当は「ファイル」というものは存在していません。1と0のかたまりを、特定の約束事に従ってあたかも「ファイル」というものがあるように見せているだけです。
ただ、この「エハラ」氏が、本当に詐欺師でないかはオオツキ氏には判定できません。オオツキ氏はファイルシステムという約束事の外に立とうとはしないので、エハラ氏の言っていることの根拠を、自分自身で確認することはできないのです。本当はオオツキ氏のパソコンのブートセクターは正常なのに、エハラ氏が騙してハードディスクを売りつけようとしているのかもしれませんが、それはわからないのです。
ファイルシステムの構造は、一定の手順に従ってちょっと勉強すれば誰にでもアクセスできる知識だと私には思えますが、実際には、技術的な知識が苦手な人もいて、100%誰もが完全に理解することを保証することはできません。スピリチャルな知識(認識体系)も同様で、既に知っている人は、誰にでも身につけることができるものだと言いますが、やはり誰もが簡単にアクセスできるものではありません。

ACIMに限らず、いわゆるスピリチャルな本で良質なものは、だいたい、この対話に表れる構造と似た形の主張をしています。

  • 我々が現実と思うことは実体そのものではなく、特定の決まり事を通して見た世界である
  • 決まり事は、日常生活の中ではほぼ現実のように見えるし、そう受けとっても何も支障がない
  • 背後にある本物のリアリティに接するためには、決まりごとを相対化する視点を持たなくてはいけない
  • 本物のリアリティから我々が理解できる形で「教え」を降ろすことは可能だが、それは絶対的なものではない

上記の対話では、次のような対応になっています。

日常生活の現実
ハードディスクがファイルというディレクトリで構成されているという見方
本物のリアリティ
ハードディスクが1と0の集まりであるという見方
「教え」
ファイルとディレクトリの世界の外からファイルとディレクトリの世界に降ろしたデータ

日常生活の現実から見ると、スピリチャルな人の発言には矛盾点や不明確な部分があり、人生訓や哲学や神話(物語)と区別できません。それは\temp\boot1をファイルとして見たら、普通のファイルであることに対応しています。ただ、それがブートセクターの内容をコピーしたものであるとしたら、その中には日常生活のリアリティの外にある一定の真実が含まれていることになります。そういうファイルが複数あるとしたら、それぞれのファイルは違うディレクトリにあって別のファイルに見えます。それが別のファイルであることだけで、そのファイルのデータがナンセンスなものであることを証明したことにはなりません。

ポイントとして次のようなことが言えます。

  1. 日常生活のリアリティの中から本物のリアリティを知ったり、「教え」を検証することはできない
  2. 「教え」は複数存在し、日常生活のリアリティの中から見ると、それぞれ別のことを言っているように見える(パスが違う)
  3. 同じロジック(検証不能な『本物のリアリティ』)を詐欺やカルトに使うことは可能であり、詐欺やカルトの危険性を100%回避して、本物のリアリティに接することは難しい

私は、いわゆる「スピリチャル」というものは、こういうふうに受け取っていて、多くの人は、何らかのリアルな体験を元にそれを我々が理解しやすい形に翻訳して言っているのだと思っています。ただ、それぞれの表現は、\temp\boot1というファイルが一般のファイルでしかないように、それ自体に絶対的な価値があるとは思いません。守護霊とか前世というものが、それを聞いた我々普通の人間が想像するような形で実在するとは思わないのですが、江原さんや美輪さんが言っていることには一定の真実があると考えるわけです。
そして、そういう中の本物と偽物の区別は、自分自身の直接体験以外の手段では原理的に不可能であるとも考えます。だから、こういうものには非常に高いリスクがあることは間違いないのですが、それ無しですませるわけにもいかない扱いに困るものです。

さて、それで、ACIMも、いわゆるスピリチャルな「教え」の一つ、別のリアリティについての記述の一つですが、このテキストの特色は、非常に consistent であるということです。日本語で言うと一貫性がある、堅実ということですが、consistent という英語の方がしっくりきます。ACIMは三部作の長く難解な文章なのですが、どこを切っても同じことを言っている、同じことを言っているのに繰り返しがない、ある意味、非常に明解でわかりやすいものです。
自分なりに受け取った部分を要約すると、こんな感じです。

  • 私の体が私であるという日常生活のリアリティは幻想である
  • 時間という日常生活のリアリティは幻想である
  • この幻想を守るための「エゴ」というシステムがあって、「エゴ」と「私」を区別することで本物のリアリティを生きることができる
  • 「エゴ」の誘惑から「私」を守るシステムが存在するが、このシステムは「エゴ」と違って「私」の自由意思を尊重しているので、自分自身の決断で身をゆだねる必要がある
  • 人の人生全体が、この構造を理解するためのサポートとして機能している

これは、かなり自分の言葉に翻訳しているので、読んだ方にとっては「それは違う」という部分があるかもしれませんが、私としては、こういうことが非常に具体的でわかりやすい言葉で書かれていると思いました。
特に、「時間」と「私」が幻想であるということが重要だと思います。ファイルシステムが約束事であって実体でないように、「時間」と「私」も実体ではないという話です。
そして、これらのことが「真理」でなくて「仮説」として提示されている所も、ACIMのひとつの特色です。
「自分はこういう真理を経験しているけど、あなたにとっては仮説でしかない。それは当然のことなので、あくまで仮説として受け取って自分で検証してみませんか?」というスタイルになっています。

それで、このテキストそのものは、日本語訳がまだ出版されてないし、非常に抽象的で難解な部分もあるので、次の解説書から入るのがオススメです。

神の使者
神の使者

この本の著者のゲイリー・レナードさんは、もともとはプロのギタリストだったそうで、語り口がポップでわかりやすいです。いかにも、(ちょっとシャイな所もあるけど)陽気な元ギター少年のおっちゃんという感じで、対話形式になっていることもあって、スラスラ読めます。
ある「先生」から、ゲイリーさんが、ACIMについて教えてもらうという形になっている本で、要所要所にACIMの引用もあります。ACIMの引用は量としては少なめですが、実際に原典にあたってみると、その引用が実に的確に要点を伝えていたことに驚きました。
問題は、その「先生」というのが、実体化したアセンデッドマスターであるという途方もない話になっていることです。アセンデッドマスターとはいわゆる「悟り」を開いた人のことですが、本当の「悟り」を開くと任意の時点、任意の地点に自分を肉体として実体化できるという話になっています。
そういう存在が、ある日突然、自宅でくつろぐゲイリーさんの前に出現し、ゲイリーさんはこの人と何度も普通に声で対話して、その記録がこの本であり、これはフィクションではなく実際に自分が経験したことだと言っています。スピリチャルな本には、大なり小なり信じがたい話が含まれていることも多いのですが、これは特に強烈な話でビックリしました。(実際には、さらに驚くべき話も書いてありますが、ネタバレになるので伏せておきます)。
彼のホームページの中には、この顛末を含む著書の由来を語っている、動画があります。
その真偽やこういう主張をする真意は私には判断できませんが、それとは別に、この本の中身、対話の内容は非常に重要なことがわかりやすく説明されているいい本だと思います。

もう一つ、日本語で読める解説書としては、次のものがあります。

愛への帰還―光への道「奇跡の学習コース」
愛への帰還―光への道「奇跡の学習コース」

この本は、若干、著者自身の考えが混じっている部分もあるような気がして、ACIMの解説としては「神の使者」の方がいいと私は思いますが、この著者のマリアン・ウイリアムソンという人も非常に興味深い人です。作家としてこういう本を書く一方で、The Peace Allianceという団体のような、社会的な活動も熱心に行なっています。この動画は、その団体に関するインタビューです。

こちらは、2005年にCNNに出た時の動画です。

「スピリチャルもやるけど政治もやる」ということではなくて、彼女の中では、こういう活動とACIMが深いレベルで一体化していて、両方が一つのものであるという認識になっているようです。
私が良質なスピリチャル本と判断する基準は、認識を変えることに重点を置いていて、行動を変えることを重視しないことです。ファイルシステムの構造をよく知っている人でも、普通にエクスプローラーを使い、ディレクトリの中にファイルとして自分の文書を配置します。問題は、それが便宜であることをちゃんと知っていて便宜として使うことで、ファイルシステムに従わないような形でハードディスクを使うことには意味がありません。
実際には、ファイルシステムの構造を理解していてボリュームへの直接アクセスが可能であれば、削除されたファイルを復活するといった「奇跡」を行なうこともできます。ただ、それが可能であるからと言って、日常的にそういうことをする意味はありません。
ACIMは、いかなることも可能であるが、重要なのは認識を変えることであり、自分の目の前にある状況をその為に活用することだと言っています。そういう意味では、自分のそれまでの人生の延長線上にある社会的活動を自然に手がけるマリアン・ウイリアムソンさんの生き方は、非常にACIMに添っているものだと思います。

ACIMの成り立ちやもっと短い要約については、この雑誌の特集がまとまっています。

スターピープル・フォー・アセンション―新しい時代を生きるためのスピリチュアル・マガジン (Vol.22(2007Summer))
スターピープル・フォー・アセンション―新しい時代を生きるためのスピリチュアル・マガジン (Vol.22(2007Summer))

上記のゲイリー・レナード、マリリン・ウィリアムソン両氏へのインタビューもあって、ACIMについて背景も含めて簡単に知るには、この本がいいと思います。

最後に、ACIM以外も含めて、私が良いと思った本のリストです。

私は学生時代からずっと継続的にこの手の本を読んでいるのですが、ACIMのことは「神の使者」を読んではじめて知りました。検索してみると、英語のリソースがかなり多くあって、こういう世界の広がりにあらためて驚きました。スピリチャルという世界は、知らない人が思うよりはずっと奥行きがあり豊かなもので、ひどいインチキな本もたくさんありますが、読んで面白い本もたくさんあります。信じる信じないは別にして(本当は信じるものではないのですが)、機会があれば一度は触れてみた方がいいと思います。
もちろん、副作用もたくさんありますが、ある程度の読解力のある人にとっては、知ることで少なくともカルト耐性はアップすると思います。