史上最大の「悪政の自由」を享受した権力システムの崩壊
この件でひとつだけ言えるのは、「異常だ」ということだ。
全くその通りで、何が真実かはわからないけど、とても異常なことが今起こっていると思います。
そこで、ちょっと引いて考えてみたいと思います。つまり、歴史的な観点からこれを見てみたい。
マスコミの報道には明かに偏りがあります。別に大げさな陰謀論を唱えなくても、普通に2ちゃんねるを見てから新聞とテレビを見れば、様々なレベルでダブルスタンダードがあることは一目瞭然だと思います。それを見ていて感じるのは、情報を握るということがいかに大きな権力であるかということ。
我々にとって「食っていけない」という表現はほとんどの場合比喩です。「食っていけない」状態とは、食べるものはあるけどそれ以外の自由を享受するだけの経済力が無いことを指します。本当の意味で食べ物が無くて生存を脅かされる人は極めて例外的なことで、それを心配しなくてはいけないのはごく少数です。
「食を保証する」ということが今のレベルで実現されたのは、ごく最近のことで、歴史的には例外的事態と言ってもいいくらい。
それによって、我々は、自分達を支配する権力を見る目について、大きな錯覚をしてしまったのではないかと思います。
つまり、歴史を知る人も知らない人も、漠然とこう考えてしまう。「昔の殿様や侍は好き勝手なことをしていて、ムカツクと何の理由もなく庶民を切り捨てたりするし、財産を好き勝手に取りあげたりやりたい放題だった。それと比較すると、今の権力者はいろいろなものに縛られていて制限がある」
これは、ある意味では間違ってはいないのですが、「被支配者にとっての生活の安全」と「支配者にとっての悪政の自由」を分けて考えるべきだと私は思います。
つまり、「被支配者にとっての生活の安全」は明かに向上しています。しかし、そのことによって同時に「支配者にとっての悪政の自由」の範囲も拡大して、権力のシステム全体は劣化しているのではないでしょうか。
歴史を学んで感じることは、昔の支配者は、中国の皇帝でもローマの皇帝でも日本の殿様でも、ある意味、真面目で必死だということです。ほとんどの支配者は、治安を守って外敵の侵入を防ぎ、経済活動のインフラを整備することに心血を注いでいます。それができなければ、一発で倒されてしまうからです。サボっていたら、自分たちの権力どころか命の保証がない。
もちろん、昔は情報伝達のスピードが遅いから、何事もスローペースで進みます。馬鹿な皇帝がすぐに倒されるということはなくて、食えなくなった庶民が反乱を起こして革命が起こるのは、息子の代や孫の代になってからだったりします。
いったん動き出した権力装置は、慣性を持っていて、漕ぐのを止めてもすぐには止まらない。
その「慣性」を利用して、酒池肉林焚書坑儒、その他ありとあらゆる悪政が行なわれていました。歴史の試験で出るのは、そういう悪辣な為政者とその報いで引っくりかえる政権に関する人名や年号だったりするので、どうしてもそういうことだけが印象に残りますが、昔の王様は何でも好き勝手にできていたかと言えば、そうとは言えないと思います。
経済的、技術的に脆弱であるから、悪政をしたらすぐその結果が出る、搾取する為の枠が非常に狭い。
昔の王様には「悪政の自由」はごくわずかしか与えられてなくて、それを享受できるのは、長い歴史の中で、政権が「慣性」で動いているわずかな瞬間であって、それにタッチできるのは支配者層の中でもごく一部の人です。
それと比較して、今はどうでしょうか。
今は、情報伝達のスピードが速いので、「慣性」がない。スキャンダルは一瞬にして全国民の知る所になる。漕ぐのをやめたらすぐ船は止まります。そういう意味では、今の支配者は、昔の王様より窮屈な思いをしているはずである。深く考えないとそう思ってしまうかもしれません。
しかし、昔の王様より今の同業者の方が確実に有利な点があります。それは現代においては、「情報」を支配することが可能であるということ。
ちょうとこんな記事があったのですが、「テレビ放送」や「ラジオの普及」や「PA装置」なんて項目があります。情報テクノロジーの先進国だったわけですね、ナチスドイツは。
やはり、新聞の一面に何を書くか書かないか決められる、テレビで何を攻撃対象にするか指示できるというのは、非常に強力な権力です。
また、歴史を見ていれば、庶民は集団として決して馬鹿ではない、むしろ、非常に大局的に情勢や問題点を理解して動くことがあるということもわかりますが、その力は食い物を与えている限りは発揮されません。
食い物がある限り、一般人は保守的で従順でどんなに馬鹿げた権威でもやすやすと受け入れるというのも歴史が示す真実。
つまり、「情報の支配」と「(良質な政治でなく)技術の向上による食の安全の保証」という二点の理由で、現代の為政者に与えられている「悪政の自由」は歴史上類が無いほどに拡大しているのではないでしょうか。
特に、余剰生産が多い分だけ、その「悪政」に連なる人たちの人数が膨大なものになっている。
だから、これが崩壊するということは、今まで歴史上起こったどんな権力の崩壊よりも、ドラスティックで関係者が多い事件になるということです。
今起きている事態について、何が報道されて何が隠蔽されているのは、それは私には見当もつきません。しかし「異常だ」と確信を持って言えるだけの情報は得ている。マスメディアを中心とした権力にとっては、「異常だ」と思う人がたくさんいること自体が、もう既に敗北だと思います。
実際、これと似たことはこれまでも何ども繰り返されてきたと思いますが、今回ほど「異常」に気づいている人が多かったことは無いでしょう。
史上最も大胆に「悪政の自由」を享受した権力構造が崩壊しつつあるのです。
新聞の一面に何を載せるか決められる人も、「はてなブックマーク」のトップページに何を載せるかは決められません。
「はてなブックマーク」の投票には明細があって、その明細、つまりユーザIDには履歴があります。誰でも任意のエントリを分解できるのです。「このエントリに投票したのはAさんとBさんとCさんで、そのAさんは、過去どのようなエントリをブックマークしているのか。BさんやCさんはどうか。彼らはどんなサービスを利用していて、ネットの中で何をしているのか」そういうことが常に調査できます。
はてなのトップに出る為に必要な投票数は、これからどんどん多くなっていくでしょうが、それが「分解可能」であるというこの性質はおそらく変わりません。
これを人為的に支配することは困難です。扇動やプロパガンダは成功すればするほど、それを「分解」してからくりを暴くことの情報としての価値が高まり、それがトップページに出て来る。そういう「分解」は近いうちに、経済的な裏付けのある一般的な行為になります。
これから、こういうサービスがたくさん生まれて、その総合として、何が新聞の一面に載るかが決まります。このプロセスに参加する人や組織はどんどん増えていって、プロセスは複雑化していくと思いますが、それが「分解可能」であることが、この本質です。そして、その性質が、これまでの権力システムの存続を許さないのです。
なにが言いたいのかというと 小泉さんがドラスティックにいじってしまったアングラ社会の構図の 今も続く流動的な変遷に巻き込まれた松岡大臣ということです。
彼は、旧来型の利権構造と新利権構造の境目に挟まれていたといえます。
こちらのブログでは、「アングラ社会の構図に大きな変化が起きている」という視点で、今回の事件を分析されています。なかなか的確な分析ではないかと私は思いますが、同時にこれが真実であるという確信もありません。
いずれにせよ、一連の事件の背景には、私がここに書いたような大きな権力構造の崩壊があると思います。
今はまだ、従来の延長線上にある利権構造がプレイヤーを変えて存続するのかもしれませんが、この流れがこれで留まることはあり得ません。
ただ、新しい権力が「分解可能」なメディアをマスメディアに対して適用していた手法で支配しようとして、さらに大きな葛藤が起こることも間違いないでしょう。
その葛藤はひょっとしたら、ここで提案されている草の根P2P式のグーグルクローンと何らかの利権に取りこまれたグーグルの間で起こるのかもしれません。
私は、「分解可能」であることはインターネットというメディアの本質であり、決して取りはずすことはできないと思います。そして、それが根本的に変えてしまうのは、経済よりむしろ権力の構造だと考えています。もし、「分解可能」でないネットというものが可能であるなら、従来の権力が少しだけ形を変えて存続していくでしょう。そうでなければ、我々は今、その大きな変革の入口に立っているのです。