人権を失ったまま生き続けても、そんな命に意味はない。

これは本物だと思う。

「両親へ」という手紙だけ論旨が支離滅裂で、他は筋が通っている。いたずらではこんな細かい芸はできないだろう。

この子は人権を奪われていて、それを回復できないから死ぬと言っているのだ。この子にとって自分の人権は命より大事なものだ。「僕の人権と僕の命とどちらが大切ですか?」と問うているのだ。

それに対して、「人権は後で何とかするから命を大切に」という答は意味がない。

人権とは、自分が言ったことを誰かが聞いてくれて答えてくれることだ。「クラスのみんなへ」「担任の先生へ」「クラスのみんなの保護者へ」「教育委員会へ」という4つの手紙で一貫しているのは、「僕が苦しさを訴えていることに、何らかの応答をしろ」ということだ。彼は、答えを求めている。

  • ぜったいなん年かたったらわすれるでしょう(クラスのみんなへ)
  • 僕が死んだら先生は、テレビでやってたようにウソをついていると思います。「いじめは、なかった」とか「いじめと自殺は、因果関係」がない、とかぜったい言ってるでしょう(担任の先生へ)
  • ウソをつく人の子供は、ウソつきです。無責任です(クラスのみんなの保護者へ)
  • なぜ僕が自殺をしたのかわかりますか。ぜったいわからないとウソをつくでしょう。(教育委員会へ)
  • テレビでは、ウソつきをしています。またこんかいもしょうこいんめつをするのですかこんかいはぜったいさせません。(同上)

そして、封書の裏には「いじめが原因で自殺予告文といじめと自殺は、因果関係がある証明書」在中と書いてあったそうだ。

自分の苦しさが無いものとして扱われることが、彼の本当の苦しさなのだと思う。

自分が表現したことに誰かが何らかの応答をするというのが、人権の基本である。それを彼は奪われている。

そして、大臣に直訴するのは、国民全体に訴えることだということを、たぶん彼はわかっている。

教師も教育委員会も「クラスのみんなの保護者」も彼の人権より大事なものがあって、それは大臣でも同じだということもわかっているだろう。しかし、大臣にとって人権より大事なものは選挙であって、大臣だけは選挙の為に彼の人権を放置することができない。たぶんそれをわかった上でしている。

彼には、人が他の人の訴えにどのように応答するかということに、非常に敏感な感覚があるので、直感的にそれを見抜いてやっているのだと思う。大臣と選挙を通して、彼は国民全体に訴えたのだ。

私は、彼は正しいことをしていると思う。

人権は命より大事なものだ。絶対に守るべきもので、もし奪われたらどのような手段を取ってもそれを訴えるべきだ。訴えが聞かれなかったら、聞かれるまで訴え続けて、それをやり尽くしてそれでもダメだと思うなら、人権侵害を止める唯一の手段が自殺だと思うなら、死んだほうがいい。

ここまで物事がきちんとわかっている人に、「君にはわからないけど他にも君の人権を守る手段はある」とは私には言えない。彼が最終的に絶望したのなら、それは本当に可能なことを全てやり尽くしたのだと思う。

人権を失ったまま生き続けても、そんな命に意味はない。