株式売買は意見が違うから発生するもので「美しい話でない」のが常態

与謝野金融相「美しい話でない」


与謝野馨金融担当相は13日の閣議後の記者会見で、みずほ証券が発注ミスしたジェイコム株を多くの証券会社が取得したことに対し、「法律上は確かに取引が成立しているが、誤発注を認識しながら間隙(かんげき)を縫って、(証券会社の)自己売買部門で取得するのは美しい話ではない」と指摘した。

これはおかしい、というか、証券取引の機能自体を理解してないことを暴露した発言で、ほとんど失言に等しい。

株を買うのは常にリスクを取ることで、リスクを取ったものが報われるから、プレーヤーが情報集めに必死になるわけで、必死になるから各種の複雑な情報を統合した指標として株価が意味を持つのだ。

各社がジェイコム株を買った時点では、「誤発注」であるということは、市場の共通の認識として確定していない。もちろん、新規上場株が極端に下がるというのは異常事態である。下がり方から見て、その原因として可能性が最も高いのは誤発注であるとは、株屋ならすぐに思いつくことなのだろう。

しかし、これがジェイコムという会社に関わる問題でなくて、それと何の関係もない証券会社や取引所自体のミスやシステムの欠陥であったことは、数日立たないと確定しなかったことだ。「誤発注」やシステムのトラブルが起きていたとしても、何か「ジェイコム売り」の要因があって、そこから連鎖的に問題が起きた可能性もあった。「なぜ 誤発注が取り消されてないのだ?」と聞いても、その時点では誰も答えられない。それが東証のシステムの問題だと判明したのは数日後のことだ。もし、このトラブルがジェイコム自身の問題によって引き起こされたものであったとしたら、翌日以降ジェイコムの株はさらに値下がりして、買った人は大損することになる。そのリスクを引き受けて、「ジェイコムという会社自身には何の傷もない」という判断をしたわけである。

瞬間的にその判断ができたのは、新規上場会社について、裏の情報も含めて情報収集していたからであり、それに自分の(会社の)金を賭けてもよいという自信があったからだろう。

証券取引市場というのは、そういうふうに日頃から情報収集を心がけて自分の判断力に自信がある人が切磋琢磨する場である。そして、単なる自信過剰ではずしてばかりいるプレーヤーは退場させられる。

そもそも「取引」が成り立つ場合、売る側と買う側は意見が一致してない。お互い相手のことを馬鹿と思ってなければ取引は成立しない。相手を馬鹿と思ってなくて、いくらかでも尊敬の念があったら、「この人が100円で買うなら、この株にはそういう値打ちがあるのかもしれない。やっぱり売るのやめようかな」ということになる。「こんな会社はクズだ。100円の価値もない」と一方がいい、「そんなことを言うとは、その目はただのビー玉だな、この薄ら馬鹿め」と相手がいい、「よくも言ったなこの低能め、てめえの馬鹿さ加減と心中するか」「おう、てめえこそ、明日になって地団駄ふんで悔しがれ」と100円で取引が成立するのである。

もちろん、現実の証券取引には、そういう企業の評価と別の要素もたくさんあるのだが、基本はこれであり、企業の評価で意見が一致しないから取引が成り立つのである。他の要素も評価の不一致から派生したもので、根本にこの喧嘩がないと市場は一切成立しない。そういう取引が一日何十万、何百万と行なわれているわけで、ちっとも美しい話ではない。美しい話ではないが、それが総合されることで、金が回るべき所に金が回るのである。

与謝野氏が「美しい」という言う場合、その何パーセントかは、「みんなの価値観が一致して、全員がみんなの期待する価値観に添って動く」というニュアンスがこめれらているような気がするが、相手の価値観を尊重できる「美しい」人たちは、相手の提示する価格(に込められた価値判断)に同意するから、売ることも買うこともできないだろう。証券取引は、美しい話でないのがあたりまえであり、美しくないから機能するのである。美しくないから、必死で情報を集め情報を総合して所定の時間内に判断する。そして、売る奴は買う奴のことを馬鹿と思って売り、買う奴は売る奴のことを馬鹿と思って買う。

ストップ安でジェイコム株を買った奴は、売った奴のことを馬鹿と思ってほくそえんで買ったのだろうが、それを否定することは、全面的にその商売を否定することである。全員の価値観が一致する「美しい」世界と、証券取引は両立しないと思うが、そういう人が担当大臣になるのはいかがなものか。