奪いあう競争と創りあう競争

先日、業界外の人と雑談していて「IT業界も競争が激しいからいろいろ大変でしょう」と言われた。確かに競争が激しくいろいろ大変なので「ええ、まあ、そうですね」と答えたのだが、その後の会話が妙にチグハグになってしまった。

後で考えてみると、「競争」という言葉のイメージが随分違っていたことが、くい違いの原因だったようだ。

私の解釈では、その人の言う「競争」とは「奪いあい」だ。つまり、パイの大きさはもう決まっていて、それにたくさんのアリさんが群がっているイメージ。誰がどれだけ取るかは、地位で決まる。

ここで殴りあいをしないのが文明というもので、その為には、「地位」というものをルールによって割り当てて、誰もがそれに従うことが必要である。

IT業界という若い業界では、「地位」を決めるルールが成熟してないから、その割り当ては文明化されておらず、殴りあいにはならないまでも、それをほうふつとさせるような暴力的なものになるでしょうね、と言いはしなかったが、それに近いことをその人は思っていたような気がする。

パイの大きさが決まっていれば、それが奪いあいになるのは必然で、これはもう避けられない。後は、分配をいかに整然と行うかで、分配がうまく行かせることが政治の役割になる。広義の政治が機能していれば、分配に参加する為には、社会のどこかの地位に収まる力が必要となり、そうでなれば、「騙しあい競争」「殴りあい競争」に勝ち抜くことが必要になる。

今の日本は、政治が機能しなくなっていて、「騙しあい競争」「殴りあい競争」が激化していて、IT産業はその最先端なのではないか、ということである。

それでもちろん、私はそういう見方をしていない。

私が毎日目にしている「競争」とはまず「いかに皆に好かれるものを作ることができるか」という競争だ。その手段としての「いかに知らない人とつながることができるか」という競争でもある。そういう意味での競争は激化していて、「皆に好かれるもの」がどんどん生まれて、そのベースとなる「つながる」ための技術はどんどん進化している。

そういう競争の中で、「奪う」という方向はあまり有利ではない。「奪う」ことができるのは古い価値で、そんなものを研究する暇はないし、「つながる」可能性を損なうことなく「奪う」ことはなかなか難しくて凡人にはできない。

情報を「収集する」と言っても、「強奪する」のではなく「つながる」に近いような意味で、たくさんの情報を私は毎日収集していて、それをしないと食っていけない。それを人よりよけいにしないと楽な暮らしができない。そして集めた情報によって「価値を作る」ことのシッポにしがみことで自分の地位を守ろうと汲々としている。

私が巻き込まれている競争は、ひとことで言えば「創りあう競争」だと思う。

正確に言えば、我々の業界には「創りあう競争」と「奪いあう競争」が混在していて、だから、その人が言ったことも、完全に的外れとは言えない。そのこともあって誤解を訂正する機会を持てずにチグハグな会話は終わってしまったのだが、このような認識のギャップは案外あちこちにあるような気がする。

「奪いあう競争」が激化しているという認識は、完全に間違ってはいないのかもしれないが、Googleの時価総額8兆円超は、どこかから強奪したというよりは創り出した価値であり、「奪いあう競争」という概念だけではIT業界を説明することはできないだろう。

「創りあう競争」や「つながりあう競争」という別の競争が激化しているわけで、この概念と功罪が一般の人の間にもっと広まってくれると、社交性のない私も会話が楽にできて嬉しい。私の世間話以外にも、嬉しいことがたくさんあると思う。