嫌韓の自由と嫌米の自由
ギター侍NY進出第一発目のネタは、ブッシュ斬りでした。それを見て「ちょっと無難というか安易すぎるんでは」と思いましたが、あれを英語でやること自体がチャレンジですから、まあ仕方ないでしょう。あまり面白くない陳腐なネタで受けはそこそこでした(そこからの盛り上りはなかなかだったけど)。
たぶん見た人は日米問わず同じような感想を持つ人が多いと思いますが、外国の芸人が元首を斬ると「無難」「安易」「陳腐」と言われてしまう国なんですね、アメリカは。9.11以降、アメリカの「言論の自由」も怪しくなってる部分もありますが、それは、松井のスランプのようにかなり高レベルの中の部分的な落ち込みという問題であると思います。
日本ではどうでしょう。外国の方が、国民の象徴を斬ることはできますが、公営放送でそれをそのまま流すことはできず、若干の制限がついてしまうようです。波田陽区もこの人は斬れないでしょうね。やっぱり、アメリカにはかなわない部分がまだまだあると思います。
「言論の自由」ってなんだろうと思いますが、ひとつの目安はこのへんかなと思います。波田陽区に斬れない人が何人いるか。
波田陽区を特命全権大使に任命して、各国へ派遣してその国の有名人を斬りまくらせる。ウケた国とは親密な関係を結ぶようにするというのはどうでしょう。やっぱり、目立つ人には反発心があるものですから、どの国の人でもそれを発散したいものだと思います。それが安心してできる、笑えるということは、国民の秩序に対する信頼感があるのではないでしょうか。それを国家、社会の安定性の基準と考えるわけです。
だから、これは規範的な意味ではなくて、現実的な、打算に基いた国益の為の判定基準として、波田陽区や江頭2:50を派遣して、ウケて帰ってきた所、生きて帰ってきた所、帰ってこなかった所で、三段階にランク分けして、外交の基準とすることを提案したい。
もちろん、日本も同じ基準で見て、社会への信頼感が薄れ、寛容の精神が失われていることがないかチェックしないといけません。
ところで、マンガ嫌韓流という本が隠れたベストセラーになっているようで、Amazon.co.jp: 本: トップ100でも本日現在一位です。この本の作者のページ(2005/7/27 2005/7/27)に以下のような話が出ていました。
朝日、読売、産経など主要紙全てに広告を断られたそうです。理由はわかりません。本日の東京スポーツに記事が掲載されました。文春から連絡があり、記事の掲載を見合わせることになったらしいです。
嫌米と比較して、嫌韓には配慮が必要なのかもしれませんが、それが、日米関係と日韓関係の差をそのまま表しているような気がします。日韓関係はまだまだこれからですから、現段階では「嫌韓の自由」に一定の制限がつくのもやむを得ないかもしれません。
でも私は、近い将来、この「嫌米の自由」と「嫌韓の自由」の関係が逆転する日がやって来ることを希望しています。下品で妄想的なものも含めて反○本がたくさん書店に並んでいることが、その国との安定した友好関係を示しているのだと思います。