グリーンスぱんのようなあの人
金融政策はUFOキャッチャーのようなものである。「利下げ」というボタンを決められた回数押すことは、名人も素人も同じだ。うまい人がボタンを押すと、「好景気」という景品がGETできて、それを「利上げ」というコインに変えてゲームを続けることができる。ヘタがやると、あっというまに金利が0%になってゲームオーバー。
名人と言っても人と違う手がうてるわけではなく、ひたすらタイミングだけの勝負なのだ。
また、金融政策は合気道のようなものだ。マクロ経済という対戦相手は、中央銀行と比較して、体格的にかなり勝っている。がっぷり四つに組んで力勝負になってはとても勝ち目がない。相手の虚を突いて、転がすしかないのだ。
いかに、相手の重心を見極めるかが重要だ。
グリーンスパンという人はこの金融政策というUFOキャッチャー的合気道の名人だった、という話が読売新聞2月20日の「日銀、金融政策に誤り」というタイトルの竹森俊平という人のコラムに出ていた。
アメリカで2000年にITバブルが崩壊した。これは日本の90年代のバブル崩壊に匹敵するような危機だったのだが、グリーンスパン(とその一味)の手腕で、被害を最小限に留めた。日本にもグリーンスパンがいれば「失われた10年」はなかったという話である。
竹森氏は、両者の違いを次のようなエピソードを引用して強調する。
メイヤー理事はある時議会において「米国は世界一所得分配が不平等な国だが、その是正の為に何をするつもりか」という質問を受けて、即座に「まったく何もするつもりはない。物価と雇用の安定だけがFRBの職務で不平等の是正はあなた方議員の仕事だ」と彼一流の回答で切り返したのだ。
日銀がバブルの再発を恐れ(て対策が後手に回っ)た背景を考えると、地価に関する当時の世論が浮かぶ。(中略)当時の日銀首脳も地価の高騰が「社会的不公正」を生むといった発言をしているが、こんな発言をする方が問題だ。
FRBは、重心を見極めて、それだけを見て正しいタイミングでボタンを押した。日銀は、二兎を追い、獲物でなく回りばかりキョロキョロ見ていて、全てのタマを無駄に打ちつくしてゲームオーバーになってしまったということだ。
それで、この主張の当否は私には判断がつかないが、ひとつだけ思うことがある。
たとえ、90年の日本にグリーンスパンがいたとしても、彼は日銀総裁にはなれなかっただろう。2005年にホリえもんがフジサンケイグループのトップになるより、それは何倍も難しいことだ。
筋を通し、自分の職務というか機能の本質だけを追求する。そして、与えられた環境の中でポイントとなる事項を見極め、それをつく。それだけをして、それ以外に何も考えない。その狭い範囲でのみリーダーシップを発揮する。グリーンスパンとホリえもんは似ていると思う。
グリーンスパンはほしいけどホリえもんはいらんという人は、ちょっと欲張りすぎ、てゆうか無理難題、てゆうか矛盾。いっそのこと「グリーンスぱん」とでも呼んでやる。
それと、彼らは自分の価値観を人に押しつけようとはしてない。「自分がお金をたくさん回すから、それでみなさん好きなことをしてください」と言っているのではないだろうか。あるいは「自分は儲けることに興味があるから、そういう仕事を選んだ。お金を使うことには興味はないので、誰か他の人がやってください」ということか。
私はどちらかと言えば、使うことの方に興味があるけど、その為にホリえもんを応援する。彼が、自分の職務を貫徹することを望む。
ということで、ホリエモンがんがれ、超がんがれ
(こういう形で、自分の記事が使われるとちょっとうれしいです)