と金ブロガーの迂闊な免疫系

今までいただいた賛辞の中で、私が最も納得したものは、yomoyomoさんが『考えるヒント』で読み解く!の中で書かかれたコレである。


これは大分前に書かれた文章であるが、初めて読んだとき、大変危険な文章だと思った。こんなのが広く流通したら、Wiki の普及に悪影響が出るではないかと恐ろしく思い、話題になってくれるなと願ったことを覚えている。正直に書くと、今この文章でリンクすることにも躊躇する気持ちがあるくらいである(笑)。

「リンクすることにも躊躇する」というのがとても気に入っている(笑)。

私もこの「圏外からのひとこと」というブログの一読者として「この人はどこからそんな変なことを思いつくのか」「この人はどこへ行ってしまうのだろうか」という懸念に恐怖をまぶしたような感覚を持っていて、この表現には自分のそういう気分をうまく汲み取っていただいた気がした。

書いていて、自分でもどこからそんな考えが来たのか見当もつかない文章もいくつかあるのだが、ここで取りあげていただいた、Wiki荒らしと免疫系もその一つである。

それが、突然、このアイディアの出所がわかったので、忘れないうちに記録しておく。

免疫系の重要な機能は異物を見分けることである。Wikiでは、集団指導体制でそれが運用されているので、免疫系の動きが外から見える。ブログにも免疫系はあって、コメントや言及に対して、「これは典型的なサヨだな」「またネット右翼が来た」「なんだかまた頭の良さそうな人がコメントしているよ」等と、そういう乱暴な分類はしないかもしれないが、ブロガーはとにかく何らかのラベルを貼って受け取る。そのようなラベリングによって自分のアイデンティティを守るという意味では、外からは見えないけど、ブログにも免疫系はあると思う。

ブロガーの精神の階層に対して、このコメントはこのレベルまでの侵入は許す、このコメントはこのレベルではじく、という、暗黙のルールみたいなものを誰でも持っているだろう。ネットに露出して、あらゆる反応に対して精神の中核まで侵入を許していては、アイデンティティが保てない。

もちろん、私にもそういう意味での免疫系があるのだが、これがどうも人のものより、迂闊に出来ているような気がする。時々、免疫系がチョンボをして、必要以上に深いレベルへの侵入を許してしまうのだ。それによって免疫系が暴走して、アイデンティティ崩壊の危機に直面する。

自分が何度もそういう経験をしていて、上記の文章は、Wikiにおける見える免疫系に対して、その経験を単に応用しただけのことだ。あれを書いた時にもyomoyomoさんに褒められた時にも、自分は頭がよいのだろうと思っていたのだが、そうではなくて、単に経験したことをちょっとだけずらして言っているだけのことである。そういう経験は珍しいものかもしれないが、そこにはあまり創造性のようなものはない。

そしておそらく、そのことが、このブログの危険なカオリにもつながっている。

ブログを書くことで、常に私のアイデンティティは揺らいでいる。だから、自分でも次にどんな記事を書くのか予想がつかない。読む自分のアイデンティティと書く自分のアイデンティティが微妙にずれている。他の人にとってどうだかわからないが、自分にとっては見ていてスリルのあるブログなのである。

また、アイデンティティ崩壊の危機に直面するたびに、免疫系は抗体を獲得し、サイヤ人のようにパワーアップする。と金ブロガが「場の力で自分が裏返ってブログを書く」と言っているのは、そういうことかもしれない。