?なぜ「遮断された場」が必要なのか?

はてな住所登録の件について内情はわからないけど、いろいろな圧力が来ていて、それはまともさのレベルとか怖さとか金銭的なリスクとかいろいろな面で多種多様なのだと想像する。そして、そういういろんな性質の圧力から予想される懸念をまとめて解消する手段として、今回の措置を実施したのだと思う。

それで、これを評価する上で、戦術面と戦略面を分けて考えることが重要だ。

戦術的には、やはりどう見てもうまい方法とは思えない。ユーザの評価がかなり落ちた割には、圧力をかわす手段としての有効性もそれほど無さそうだ。これについてはあまり議論の余地はないだろう。

問題は、戦術的に失敗だったとして、戦略として見た時にその方向性が間違っているかどうかだと思う。

つまり、リアルワールドからやってくる圧力を遮断する場として、はてなを維持していくことが有効なのかどうか。

どこで見たのか忘れてしまったが、はてなのIDが書かれた葉書を家族に見られることがイヤだ、という意見があった。つまり、自分の書いている日記をリアルにおける知りあいには知られたくないというユーザがいるという話。そういう感覚的なレベルから、企業を批判する意見が書きにくくなるという具体的なレベルまでさまざまあるが、共通しているのは、リアルと違う場を持つためにはてなを利用しているということだ。そういう人はたくさんいると思う。

そして、はてなの態度の豹変にショックを受けたのはそういう人だろう。リアルと遮断された場であったはずのはてなが、そうでなくなることに憤激しているのだ。「遮断」という意味はそれぞれ違う内容を意味しているかもしれないが、「はてなが遮断された場であり続けるという期待を持っていてそれが裏切られたと感じている」とくくると、うまく多数の気持ちを表現できるような気がする。

しかし、それは少し都合がいい考え方だと思う。

「リアルから遮断された場」というブランドイメージは、企業戦略としては魅力的だがリスクも高い。企業がそういう方針を取るとしたら、それはそれが儲かるからだ。リスクがあっても儲かるならそれを強行するし、そうでなければそれを避ける。どちらを取るかは企業が自分の責任で自分の判断で決めることだ。

それで自分の何かが侵害された気がするなら、侵害して来ているのは「リアル」であり「圧力」である。怒るなら、まずそちらに対して怒るべきだと思う。つまらないクレームをつける会社がいっぱいいて、それから守ってくれない日本の法律に怒るべきだ。法律をうまく活用して守ろうとすれば、法律を変えてしまう日本の政治に怒るべきだ。

自分がはてなダイアリーに書いていることをはてなのユーザはもっと大事にしてほしいと僕は思う。どんなことを書いていようが、それを大切だと思うなら、何かから遮断されてないとそれが書けない世の中の方がおかしいのだ。