本当の幸い、本当の生産性

私は、近親者にも部下にも他の誰にも「この日記を読め」と命令したことはないので、これを読んでいる人は、多少なりともここに書いてあることが面白くて読んでいるのだと思っています。こういう頭の中をひっくり返すようなことが面白がれる人が、生産性が低いとは思えないので、自分のことをそうとらえる人からコメントをいただいて、ちょっと驚いています。

それはともかく、「生産性格差を隠蔽するためにゆがんでいるもの」のひとつが、生産性の測定方法そのものではないかと思っています。

例えば、毎日毎日、私がここからリンクしているすばらしい文章のかなりの割合が、tDiaryはてなダイアリーで書かれています。このふたつのソフトがなかったら、その大半が、みなさんの所に届くことはなかったと思います。

だから、ここから飛んでいった所で何かを読んで、「ああ、なるほど」とか思ったり感激したり、いろいろ考えさせられて賢くなったり大笑いした、みなさんと私の体験の何%かは、tDiary開発者のたださんと、はてなダイアリー開発者の近藤さんに負っているわけです。ひとつひとつはちょっとしたことでも、その「幸い」を全て集計したらどんな大変な量になることか。

彼ら二人の手がカタカタと動くことで、この世界にどれだけたくさんの幸いが生まれていることか、その様子を測定できなければ、本当の生産性とは言えないのではないか。

生産性とは、単位労働時間あたりに産み出される付加価値のことですが、その基礎となる付加価値というものが、かなりゆがんでいるわけで、現行の生産性というのは、あまりあてにできない気がします。

付加価値とは、「幸い」の近似値であって、直接測定できない以上、近似値であるのはしょうがないとしても、あまりにもズレすぎているのではないか。そのズレは、どうしようもない部分と、バレたらヤバいんで隠蔽されている部分があって、その隠蔽の為に、たださんや近藤さんが本来持つ生産性を発揮できてない気がします。あるいは、もうひとりのたださんやもうひとりの近藤さんが、その力を発揮できないで埋もれてしまっているに違いない。

単位時間あたりによりたくさんの「幸い」を産み出す力のある人が、その力を発揮しやすい社会がよい社会です。国会議員とは、82兆円の予算のチェックの他に、こういうことを考えたり直すのも仕事です。だから、やっぱり大変な仕事だと思います。