フリーターとセキュリティ型権力

無事の記(2004・3・1)の「フリーターとセキュリティ型権力(についてのメモ)」という文章が、すごく重要な問題を提起していると思います。

基本的な問題意識は


社会のセキュリティ化が高度化するに連れ(矯正されるのではなく)排除されていくのは誰か。

ということで、以下のような表現でこの方向性の行きつく先に見える「セキュリティ社会」の住みにくさを憂慮されています。

  • 経済的に貧しいということが、そのまま道徳的な罪悪、犯罪者の徴候と見なされていく
  • 恐怖の感情を喚起するもの、わけのわからないものは、いつでも社会秩序の「敵」と見なされうる
  • 末端の労働者であればあるほど、末端同士の些細な違いに敏感になるっていうか、いがみあうっていうか
  • 不安や恐怖はここでは、そうした状況への抵抗よりも、履歴書送り、つまり就業への準備や、絶え間のない管理への要請としてあらわれるのだ

「セキュリティ社会」はいったん成立してしまうと、解きほぐせない構造を持っていることが問題で、その恐しさを(ちょっと難しめですが)的確に描写されています。また、これは理論的、抽象的な問題ではなくて、まさにタイトルにあるように「フリーターとセキュリティ型権力」という形の、とても具体的な問題でもあります。

ただ、杉田氏は、この構造の基盤を「情報をめぐる体制」の中に探ろうとされているようですが、そこだけはちょっと違うと思います。このシステムの中核にあるのは「恐怖」という感情であって、ひとりひとりが「恐怖」にどう対するのか、「恐怖」をどう克服していけばいいのかが一番の問題だと私は思います。