直観について直感的に考える

俺はものごとを直感的に考える時とロジカルに考える時がある。例えば、"embrace the conflict"を書いた時、"conflict"ということばをキーコンセプトにすればよいという考えは直感的に浮かんだ。それがひらめいてから、「conflictとは何か」「conflictはなぜ起こるか」「conflictにどう備えるか」という順で書けばいい、ということを考えた。これは完全にロジカルなプロセスだ。

この"conflict"という言葉がどうやって来たか考えるのにも、直感的なアプローチとロジカルなアプローチがあって、だいたい両方を同時に行なう。ロジカルにこのプロセスについて考察すると、あの文章に書いた内容はだいたい頭の中にモヤモヤっとした状態で存在していたことなので、個々の内容の共通点をさぐっていたということになる。たくさんの言葉を無意識に並列処理して、評価値が高いものを自動的に選択する、というようなプロセスが動いていたという説明で一応納得する。だいたい理屈は通ると思う。

しかし、これは直観的には違う気がする。直感的にこのプロセスを見ると、これは神様か天使か守護霊か、何か自分の外にある存在から送ってもらった概念のような気がする。そう考えるとしっくりくる。

このように、直観-ロジックを組みあわせると、2×2で4とおりに組合せになるが、俺はこれにだいたい25%ずつのエネルギーと議決権を与えているようだ。神様のことは直観×直観の結果25%信じている。だから神様の言葉だけでは過半数にならない。事を起こすためには他に25%の支持が必要だ。ロジックも25%信じているがやはりロジックだけでも動かない。

直感的に納得できるロジックであるか、ロジカルに吟味して問題がないロジックの支持があると、俺は神様の言うとおりにする。ここにこういうことを書いてしまうのも、基本的には神様の指示なんだけど、「変な奴だと思われることはあっても、まさかこれで仕事がなくなることはないだろう」ということはロジカルに検討している。長くなるので書かないが、この日記の存在価値を証明するロジックも用意してあって、これは直感的にいいと思っている。

それで納得して書いていたら、新聞配達のように毎朝、毎朝、新しい直観が配達されてきて、しかもそれは(少くとも俺にとっては)天声人語などよりずっと面白い。

このように、自分の直観について直感的に考えて、その結論に25%程度の議決権を与えるといろいろ面白いことが起こるので、このシステムはおすすめだ。これに25%以上の株を与えるとのっとりの危険があるが、ロジカルに説明できるロジックに25%以上割りあてるのも同等に問題があって、少なくとも後者はやめた方がいいと思う。前者については俺は経験がないので、経験者に聞いてください。