加速する神話形成プロセス

すごく大昔の人が、今の南京事件にまつわる騒動を見たら、きっとそれを「神々の戦い」と表現すると思う。

日本軍をいいものにする物語と、日本軍を悪者にする物語があって、二つの物語が戦っている。大昔の人がこれを見たら、この戦いの主体は物語であって、物語が人々を駒として動かしているという見方をする。そして、その物語のことを神と呼び、それぞれの神に従う人々が神の意思を受けて戦っているのだと考える。この議論に決着がつけば「一方の神が勝った」と言い、膠着状態が続けば「神々が共存している」と言うだろう。

日本書記や古事記とかは、そんな風にして歴史を物語として決着させたものだ。大和朝廷をいいものにしたい人たちと、悪者にしたい人たちがいて、前者の神が勝って後者の神を配下とするプロセスが、そこに神話として表現されている。おそらく大昔の人は、この21世紀初頭の日本で、それと同じプロセスが進行していると見るだろう。

その見方をくつがえすことはできるだろうか。

「あんたたちと違って、我々には近代的理性というものがあって、常に検証可能な根拠を元に実証的な議論をしてるんだ。だから、暴力に頼らずとも常に一致点を見出すことができるのだ」

ドラエモン的な道具があって、こういう言い方でもうまく意味が伝わるものとする。そしたら、こういう主張で、大昔の人を説得できるだろうか。

「『近代的理性』という神様に従う人も少しはいるようだが、それはかなりマイナーな神様ではないか。私の観点の方が、メインストリームの本質をうまくとらえているぞ」

大昔の人はたぶんそう言って反論する。そして正しいのは彼の方だ。そんなに人間の本質は変わらない。

しかし、一方的に言い負かされるのは面白くないので、俺はこう言ってやるんだ。

「ああそうだ。これは確かに本質的には同じプロセスだ。でも、このプロセスはあんたたちの時よりずっと早く進む。しかも、RSSリーダーという道具を使うと、そのプロセスを観察することができる。神話というものがボトムアップに形成されていく過程をライブで見られるんだ。21世紀というのは退屈しない時代だよ」