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1950年から75年までに全世界で音楽に対して投入された創造力の総量と、その後の25年間に投入されたそれとはかなり大きな違いがある。

例えばジャズだけを見ても、50年代から60年代に至る中でどんどん複雑な和音を使うようになった。それが極まってこれ以上複雑にしようがなくなると、目茶苦茶にピアノをぶったたくフリージャズというものが出てきた。これは目茶苦茶であるだけに発展させることが難しく、苦しまぎれにピアノに火をつけたり裸踊りをはじめたりして、これ以上やったら死人が出るという所で、今度は一転してリズムの方が複雑化しはじめた。まず、ロックのビートを取り入れた8ビートがはじまり、次にそれを細分化して16ビートにすることで、フュージョンとかブラックコンテンポラリーというジャンルが花開いた。

このようにジャズはこの25年間、絶えず様式を破壊して次の様式を創造することを繰り返してきたわけだが、一方ロックでは社会と音楽のかかわりで革命を起こした。 50年代にはポップスというのは全てイロモノだったのがビートルズによってロックが社会を革命するためのパワーであるという認識が一般化してしまった。ビートルズが活動したのはたったの8年間であるが、そのスマップより短い活動期間のうちにアイドルから革命家になってしまったのだ。

流行歌の枠を大幅にはみ出すことで得た、いろいろな成果を持ちかえって新たなポップスにすることも既に70年代に試みられている。シカゴやギルバート・オサリバンは今でも十分CMソングとして通用するわけだし、我が国では73年に*ユーミン*が「中央フリーウエイ」や「海を見ていた午後」を書いている。

音楽と技術も密接に関わりあっていた。トランジスタができたからアンプという電気回路で音を増幅し変化させるエレキギターができて、ロックという音楽が可能になったわけだが、もちろん若者の心を揺さぶるためにトランジスタは発明されたわけでなく、そういうアプリケーションを編み出したことは独創と言ってよい。ビートルズはいちはやく多重録音というものを活用しわけだし、 16ビートというリズムもドラムの各パーツを干渉させずに別個に録音できるようになって初めて、心地良い音にできるリズムである。 75年以降もテクノロジーの進歩は止まってないが、それにこれほどビビッドに感応できた音楽家はいない。

2000年のヒットチャートを1975年のそれと比較してから、 1975年と1950年の違いを見てみろ。あるいは、1950年から若者を一人誘拐して75年に降ろし、そこでまた一人連れさって2001年に連れてくる。 50年の若者は75年の音楽を聞いて深い混乱に陥るだろうが、 75年の若者はMP3にはぶったまげるだろうが、そのデバイスで鳴っているのが21世紀の音楽とは思えないのではないか。

このように考察すると、 75年以降ポップスが完全に産業化されていることがわかる。そこに創造力が全く使われなかったとは言わないが、例えばお菓子産業で新しいポテトチップスの袋をデザインするために必要とするエネルギー程度のものだろう。では、75年以降創造力はどこに投入されていたかと言うと、映像とゲームである。しかしどちらも音楽より容量は少ないしあっというまに産業化されてしまい、今やガッツのある若者はみんなネットをしている。 Linuxナップスターを生み出すエネルギーの根っこはこんな所にあるのだ。そして、日本ではネットの普及が遅れた分だけ、エネルギーが暴発してんだろうね。

これからネットと教育に関わろうとする人間は、50年から75年の間の軽音楽の歴史を勉強した方がいい。ここに投入されたエネルギーの凄さを思い知った方がいい。それだけのエネルギーが25年間行方不明になっているのだ。覚悟を決めてバックドラフトの中に飛びこむんだな。