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昔のサラリーマンはせっせと残業ををして飲みニケーションなるものをかわした。今のサラリーマンはそれをしない。これを見て人はサラリーマン気質も変わったなどと言う。なぜ事象の片側だけに注目するのだ?サラリーマンが変わったのでなく、残業や飲みニケーションが変わったのである。正確に言えば、それらが個人に持たらすものが変化したと見るべきである。
不登校が増えたのは子供が変わったのでなく学校が変わったのであり、主婦の引きこもりが増えたのは、主婦が変わったのでなく主婦をとりまく世間が昔と違うのだ。少年犯罪が増えたのは、少年が変わったのでなく少年を取りまく社会が変化しているのである。正確に言えば、それらが個人に持たらすものが失われたのだ。
で具体的にそれは何かと言うと、これは説明するのが難しい。説明の仕方をいろいろ考えているうちにあることに気がついた。経済成長なる概念が内在しているひとつの謎である。何が不思議って、経済成長って奴の単位が摩可不思議なのだ。これは兆円でもなくドルでもなくパーセントで計ることになっている。つまり、今年の経済と去年の経済が違うということを前提としているのだ。
GDPと同じように微分値で計った方が具合がいいことがあるのだと思う。残業ができたり学校へ行けたりすることがあたり前でなかった時代が視野の中にあって、今はそれができるというのは微分値が高い。しかし、親の世代がそれをあたりまえのようにしていたから、子供もしろというのは、微分値がゼロだ。
人間は個人のレンジでは安定を求めるが、社会的な事象では一定量の微分値を必要とするのである。だから、経済成長は少なくとも2〜3%であるのが望ましいし、会社も学校も家庭も年に2〜3%はぶっこわしてかなくちゃいけないのだ。
最近おかしなことばかり起こるとテレビでよく言っているが、年2〜3%の社会の成長が起きているだけで、 10年前も100年前も1000年前と全く同じことが起きているだけだ。別にビックリするようなことじゃないよ。