bjorkとzawinul、民衆の音楽と地球の音楽
miroプレイヤーにはビデオ検索結果をチャンネルにする機能があるんですが、私はこれに「bjork」と「zawinul」という二つのキーワードを登録しています。
Joe Zawinulの方はもう30年近く聞き続けているけど、bjorkを聞きはじめたのはつい最近です。Wanderlustという最近リリースされた新曲の、このPVを見てからのことです。
これを見てすごいショックを受けて、次の日に早速CDを3枚ほど買ってきて、それからbjorkを聞きまくって検索しまくっているんですが、自分の中ではこの人の存在が、30年聞いてきた Joe Zawinul とほぼ同じ位置を占めてしまっていて、なんか人生が変わっちゃった気がします。
何でこのPVを見たかと言うと、上海のコンサートで「チベット」と叫んだというニュースを聞いて、何となくどういう人なのか気になってたからです。
最初聞いた時は、正直言って「変なおばさんが何か騒いでる」という印象しかありませんでした。政治的発言をするミュージシャンは偉いとは思いますが、それだけで彼女の音楽を評価しようという気にはなれません。音楽は音楽です。自分にとっては、音楽の評価は別次元にあるものです。
この曲のPVで全曲通して聞いた時も、単に電気的なノイズに無理やり政治的メッセージを乗せて叫んでるだけだと思いました。
でも、YoutubeでなくCDで聞いたらちょっと印象が違いました。
シンプルなロックのようですが、よく聞いてみると音がすごく複雑に構成されてるのがわかってきました。音数が多いのではなく、一つ一つの音が倍音とか音色も含めて繊細にできてるんですね。
それで、ちょっと大きめの音で頭からもう一度ちゃんと聞いてみて、またショックを受けました。音楽を聞いて体が震えるという体験をしたのは久しぶりです。これ、中の音をちゃんと聞けるようになると、物凄いエネルギーが曲の中でうごめいているのがわかります。このエネルギーを感じられるようになったら、最初聞いた時と全く別の曲に聞こえてきます。
http://video.google.com/videoplay?docid=6811885727612349057&q=bjork+is%3Afree
Wanderlustもこれも、物凄く深い音楽だと思います。他にいっぱいいい曲があって、しかもすごく多彩で変幻自在で、いろんな顔があってなおかつ一貫しているアーチストだと感じました。
聞きこんでいくうちに、私は、この人の音楽といつか巡りあう運命だったと感じました。どういうきっかけであっても、これを真剣に聞いたら自分の人生変わってしまうし変わった後の人生が本物の自分の人生だ、という感じ。
でも実は、bjork のCDを買ったのは今回が初めてではなくて、中古CD屋で知らないアーチストのCDを適当に買ってた中に、1枚あったんです。それは、Joga という名曲が入っていたのにもかかわらず、あまりピンと来なくてしまいこんでいたんです。
その時の自分と今の自分と何が違うのかはわかりません。
「Eyes on Tibet とか言い出した以上、bjork の曲くらい聞いとくべきだよな」と思っていたのがきっかけであることは確かです。ただ、聞いてみたら本当にぶっとんでしまった。
ここに、偶然と必然の織り成す微妙な綾があると思います。あの音をちゃんと聞いたらトリコになるのは私にとってはほぼ必然だけど、人生の中でそれを聞くかどうかは完全な偶然。そして、その偶然をたぐりよせたのは、自分が何かを表現しようとしたこと。
何かを表現しようと思うと、自分と世界の間のチャンネルが再構成されて、それまでとは違う世界が見えてくる。
私は、音楽にはものすごくこだわりがあって、特定のお気に入りのミュージシャンばかり繰り返し聞きます。bjorkは、この一ヶ月でそのお気に入りの仲間入りをしたわけですが、これが一人増えるってことは、私にとって非常に大きいことです。
同じものを聞いてるとさすがに飽きるんですが、かと言って、お気に入りでないミュージシャンの曲を聞く気にはなりません。私にとっては、世の中の大半の音楽は耳が腐る音楽で、いくら暇でも聞いていると健康を害するような気分がして、気にいらない曲は絶対に聞かない。街に出る時は、耳と脳の間の回路を閉ざして防衛してます。
だから、好きなミュージシャンを新しく見つけることはすごく意味のあることなんですが、我ながら気難しく偏屈な私の耳を満足させることはすごく難しいんです。
そういう、めったに得られない僥倖を手に入れて、少しハッピーな気分です。
検索しまくっているうちに、こんなインタビューを見つけました。
そもそも、リミックスというものは大昔から存在するのよ。猿が人間になったころにすでにあったの。バッハは一つの楽曲にいくつものヴァージョンを作るということで当時は知られていたし……音楽においてリミックスってすごく自然な形態のものだと思うのよ。
素敵な発言がてんこ盛りですが、特にハッとしたのがこの部分。
今のポップ・ミュージックというのはビートルズとかコンフレークスとかコカコーラとか、そういうものがあらわすような、60年代的なもの、60年代に人気が出たものを指していると思うのよ。でも、いまは90年代で、まったく違った時代にいるでしょ?
私にとってのポップの定義は“FOR THE PEOPLE”(民衆のためにある)だと思うの。そういった意味で言えば,ポップはいつの時代にもあった。猿が人間になったころから存在していたと思う。人々の日常感じているフィーリングに共鳴するようなもの、日常の楽しさ、苦しさ、喜び、悲しみを歌ったものなんじゃないかな。
私にとって、もう一人の欠かすことのできないミュージシャンであるジョー・ザビヌルも同じようなことを言ってるんですよ。ここを読んで、ジャンル的にも時代的にも縁が無いこの二人が自分にとって特別のミュージシャンなのは何故か、それがわかった気がしました。
オーストリアでは、「音楽家には二種類ある」と言われているんだ。「ミュージシャン(Musician)」と「ミュージカント(Musikant)」の二種類。音楽学校を立派に出て、オーケストラに入って演奏しているような音楽家は「ミュージシャン」で、独学でストリートで演奏しているような音楽家を「ミュージカント」って言うんだ。
正直に言うと、私はかなり大きくなるまで、どこかで「ミュージカント」という存在を遠ざけていたんだ。しかし、ある時から、私は「ミュージカント」なんだと悟った。練習(practice)ばかりして、結局、音楽というものを演奏(play)できないのが「ミュージシャン」で、とにかく目の前で聴いている人を楽しませたり、感動で泣かせたり、踊らさせたりできるのが「ミュージカント」なんだ。
この発言が含まれている ウェザーリポートの真実/山下邦彦 編 という本を読むと、音楽に対するこの人の独特の思い入れがわかってきます。
この人は、ウィーンに天才音楽少年として生まれ、アーディオンを演奏して小遣い稼ぎした後、特待生としてウィーン音楽院でクラシックを学び、アメリカに無一文で渡りジャズプレイヤーとして成功した人です。
bjorkがポップ・ミュージックの本質を追求し続けるからこそその枠をはみ出していったように、ザビヌルは民衆の音楽としてのジャズの本質を追求することからフュージョン・ミュジーックを生み出し、さらにその枠をも超えて、去年75才で亡くなる直前まで、独特のワールドミュージックを play し続けました。
これが病気で亡くなる2ヶ月前の演奏だとは信じられません。
二人とも、強烈な個性の持ち主で電子音を駆使する所から「反逆」とか「前衛」という言葉で形容されがちですが、決して奇をてらっているわけではないと思います。「音」に忠実で「音」だけに従うことから、必然的に誰も聞いたことのない新しい音楽を生み出してきたのだと思います。また、彼らの中では、自分たちのルーツを大事にすることと、世界中の人々(people)が誰でも共感できるメッセージを生み出すことが矛盾していませんでした。矛盾してないというより、それが一つのものだったのだと思います。
自分の立っている場所をとことん掘り下げていけば、地球の芯にだってたどりつくことができて、そのレベルでは無理しなくても地球は一つなんだ。
私は bjork と zawinul の音楽からそんな暗黙のメッセージを感じます。