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これはまだまとまってない漠然とした考えなのだけど、公立の小中学校に通うというのは、大人が考えるよりすごくハードなことかもしれない。

会社っていうのは、みんなが別々の仕事をしている。例えば営業ならば、自分がA社の担当ならば隣はB社の担当であり、それぞれ条件が微妙に違う所で競争している。自分がA社をしくじって、隣の奴がB社の受注をとったって、すぐに能力の差とにはならない。たとえ上司がそう見たって、心の中では「B社なんてのはライバルのX社が競合してないから楽なもんだよ」とか思える。さらに、役職やら年次やら学閥やらいろいろな関係性に囲まれていて、そのからみ具合はみんな違うのだ。

しかも、会社では差位を出すために評価しているのであって、上も下も能力や適性で色わけしようと目の色を変えている。よかれ悪しかれ黙っていても、いろいろな形で「ポジション」というものが与えられるのだ。

学校では、こういう「ポジション」を与えてもらえない。「ポケモン博士」「サッカー少年」「ガリ勉ひとすじ」というようなキャラクターでも設定して、自分で獲得しなくてはいけない。教室の中には役職もないし「年次」も学歴もみんな同じだ。入社直後の新人研修よりずっとのっぺらとした状況が、何年も続くわけだ。

そして、会社は常に「差位」を見つけて「ポジション」を与えようとしているが、学校では、平等が第一でこういうものを無くそう無くそうとしている。

人間には「差位」を見つけて自分の「ポジション」を獲得しようとする本能があって、これを与えられないというのは、実は健康によくないってことはないだろうか。学校で机を並べて勉強するというのは、もともとすごく辛いことなのだけど、これまでは、それを補ってあまりある楽しいことがいろいろあったからなんとかなっていた。そういうクッションのようなものが一枚一枚はがれおちて、本来あった「均質性の持つプレッシャー」が発掘されてしまった。そんな仮説を考えている。

よくわからん人は、自分の職場で、同期入社の奴全員が5年も10年も同じ仕事ばっかりやっている状況を想像してください。現実にはそんなことは絶対ありえないけど、営業だったら同じ顧客に同期全員が別々に営業するという状況。ソフト開発だった、同じ仕様書から同じシステムを同期全員が別々に開発しているという状況。しかも、その成果の如何にかかわらず、給料もボーナスもずっと同じ。なんかすごく嫌な感じしませんか?みんなバラバラに配属されて、別の仕事をしているから仲良くできるけど、そんな変な状況だと同期の連帯感なんて生まれないような気がしませんか?