世界を変えているのはコンピュータでなくて数学じゃないだろうか?
角と王だけで「成り」が無い将棋を考えてみる。
角一枚で追い回しても王様はつかまらないので、おそらくこれは勝負がつかない。これが必ず引き分けになることをコンピュータで計算できるだろうか?
相手の王が隅にいたら、自分の王で逃げ道を全部塞いでおいて、角の王手で詰める配置はあるので、このゲームでも相手がボンクラだったら詰みはある。だから、どういう配置でも「詰み」から逃れる手順があることをしらみ潰しで計算しなくてはならない。駒が四枚でも配置の方法はいろいろあるので、かなりの計算量になるかもしれない。
しかし、実は、これが勝負がつかないことを証明するもっと簡単な方法がある。
角は(馬に成れないことを前提としたら)、盤面の中で行ける位置と行けない位置がある。チェス盤のように盤面を白と黒で塗り分ければ、それがすぐにわかる。黒の位置にいる角は常に黒しか行けず、白の位置にいる角は白しか行けない。だから、初期配置で相手の角が白にいたら、自分の王様は黒しか行かないと決めればいい。そうすると、角で王が取られることはないので、角は無視できる。この将棋は王様二枚だけのゲームになる。自分の王は黒しか行かないと決めても、相手の王から逃げ回る手は常に存在する。だから、このゲームは決着がつかない。
つまり、盤面を白黒で塗りわけることで、このゲームの計算はずっと単純になる。あるいは、計算しなくても証明できるものになる。実際の将棋はもっとややこしいが、実は、このような計算を単純にする概念が隠れていて、誰かの発見を待っているのかもしれない。
よく、将棋の完全解析には、途方もない計算量が必要で、一秒で一億手を計算しても宇宙の年齢より長い時間が必要だ、とか言われる。100倍とか10000倍くらい計算が速くなったくらいでは、ぜんぜんどうしようもない量の計算が必要なことは確かだ。
しかし、それは、全ての駒の配置を全部違うものと考えて計算することが前提になっている。角一枚の将棋で、盤面を白黒に塗る前の状態だ。盤面を白黒に塗ると、駒の位置を9×9=81通りでなく、白黒二とおりで考えることができる。
おおざっぱに言って、この「白と黒で塗りわける」というような補助線を引いて計算する場合分けを少なくするのが数学の力だ。
9×9=81の場合分けとその関連を正確にコンピュータの中に再現するのがプログラミングの力だ。発注者が81通りと言えば81通り、発注者は白黒と言えばふた通りの場合分けを言われた通りに再現する。
数学でできることとプログラミングでできることを区別することが重要だと思う。同じ81通りでも、プログラミングの仕方によって計算の速度は随分違ってくる。けど、それだけでは確かに将棋の完全解析は宇宙が終わっても終わらない。数学にはもっと根本的に問題を変えてしまう力がある。
しかし、プログラミングはいつその力を発揮するか予想ができる。数学の力によって、誰かが将棋の計算を単純化する方法を思いつくのがいつになるかは予想がつかない。
これから、コンピュータによって世界が変わっていくと予想されているが、正確に言えば、人間がプログラミングの力と数学の力を組み合わせてコンピュータを使って世界を変えていく、のだ。
この流れには、納期は(ある程度)守るけどたいしたことができない奴と、はならか納期なんて概念がなくていつ本気を出すかわからなくて、むしろ「明日から本気出す」と言ってるだけに見えるけどごく稀にどでかいことをしでかす奴がいて、その両方が必要だ。数学が珍しく仕事をすると、プログラマがみんなしてそれに飛びつきそれをしゃぶり尽くす。
検索エンジンと将棋ソフトに見る計算馬力とのつきあい方というエントリに書いた例だと、ページランクという数学はしゃぶり尽された所で、ボナンザメソッドはまさに今その最中なのだと思う。
世界をある方法で白黒に塗りわけると、突然計算が簡単になって、宇宙の終わりまで計算できない問題が、たかだか100万台のサーバのクラウドでなんとかなる問題になる。それを誰かが発注してプログラマが納品すると世界が変わって、われわれはその結果を見て驚くのだが、プログラマやその発注者だけが世界を変えたわけではない。気紛れな数学もそこにからんでいる。気紛れではあるけど、私の観測範囲の中にも10年ちょっと二件の顕著な例があるので、これからも世界全体としては、数学が仕事をしていくと思う。
「コンピュータが(ネットが)世界を変える」という言い方には違和感があるのだが、ひとつは主語が機械なのはおかしいということと、数学とプログラミングという、本来正反対なものを一緒にしていることが乱暴すぎる言い方のように感じる。どっちも大事だし乱暴に言っていいなら世界を変えているのは数学で、コンピュータは数学はできない。
「数学」と言うと狭すぎるかもしれないが、とにかく本質的に結果が予想できない所に大事なものがあることに、もっと注目すべきだと思うのです。