ビット知らずと世間知らず

パソコンをある程度使っていれば、専門知識の有無に関わらず、ファイルを消すことの怖さを感覚的に理解していると思う。財布を落としてしまった時には、血の気が引いて、高い所から突き落されたような感覚になるが、間違ってファイルを消した時も同じである。

2ちゃんねるのファーストサーバ関連スレを見てて「長年ためこんだエロ画像を一瞬でパーにした」という経験談を何度か目にした。そういう経験があれば、ファーストサーバのような失敗もしないし、そこに大事なデータをあずけて消失してしまったユーザのような失敗もしないと思う。「おきのどくですがぼうけんのしょ1はきえてしまいました」を見たという経験でもいい。

こんな書き込みもあった。

うちはアダルトサーバー屋だが 電源通ってない3重バックアップに

1日 2週間 1ヶ月だな

DBは6時間単位を1セットで4*3=12重バックアップ(系統は3重)

差分・増分? 何それおいしいの? フルバックアップだけです。差分・増分は容量と手間ケチってるだけだろ

これは、事故の詳細が明らかになる前の書き込みだが、「電源通ってない」という言葉が、けっこうポイントをとらえていると思う。バックアップは「電源通ってない」所、つまり、書き替えが物理的に不可能な媒体でないと、誤操作に対する対策にはならない。

もちろん、中身のわかっている一企業のデータを保全するのと、多くのユーザにサーバスペースを提供するのでは、規模も状況も大きく違う。

バックアップを取らない格安レンタルサーバはあってもいい、というか私自身、そういうサービスをありがたく使っている立場なので、そういう選択肢がなくなるのは困る。

しかし、ファーストサーバの場合は、サービスの内容や売り方から見て、客層が自分でバックアップを取るという運用ができない所が多そうで、そのことは、ファーストサーバ自身がよくわかっていたのではないかと思う。

そういう客層にサービスを提供することはアリだし、バックアップを取らないレンタルサーバもアリだと思うけど、その両方を組み合わせるのはヤバい。ここに危機意識の欠如を感じる。

上記の書き込みをした人のように、データが一瞬で消えることの怖さを知る人が、ファーストサーバの経営陣にはいなかったのではないかと思う。

デジタルデータには、人間が扱う他のものと違う性質がある。消える時もそうだし、盗まれる時も一瞬だ。

会社が給料を下げたら、社員がどんどんやめていって会社が成りたたなくなる。しかし、少しづつ給料を下げていけば、社員の流出も少しづつ起きるから、よく社員の様子を観察していて「これ以上やめたらまずい」という所で下げるのをやめればいい。

レストランで材料をコストダウンしていけば客が減るが、これも同じで、「これ以上味を落としたらだめだ」というポイントまでコストを下げるという戦略は、やり方次第では充分成立する。

コストダウンを徹底しながら、社員や顧客の反応を見て最適値を探るというのは、経営者の手腕次第では有力な戦略だ。ファミレスやコンビニは、(それだけではないとしても)そういう戦略を極限まで進めたものという側面があるだろう。

しかし、レンタルサーバ業で運用のレベルを下げていったら、少しづつデータが消失するということはなくて、何の兆候もなく順調に運用していく中で、ある日、突然、全てのデータが消えるということになる。

技術者の目から見たらいくつかの前兆はあったかもしれないが、全体のバランスを見るべき経営判断としては、それは注意してすぐに改善すべきポイントからほど遠く、優先順位は限りなく低いものだろう。

結局これは、人間の組織とデジタルデータの乖離を、誰がどう責任を取るかという話だ。

これまでは、狭い特定分野の専門家として、IT担当やオペレータがそれを考えるというのが常識だった。しかし、ファーストサーバの事件が示したのは、そのやり方はもう限界で、もう一つ上のレベルで全体を見る経営層が、自分自身の肌感覚としてITがわかってないといけない段階に来ているのではないかと思う。

グーグルもフェイスブックツィッターも、いざとなれば自分でコードが書ける人が率いている。中小企業でも、あるレベル以上、ネットに依存する事業では、そういう経営者が率いるべき段階が来ているのではないだろうか。

「コードが書ける」ということは必須ではない。ジョブズは、現場で作業できるレベルの専門知識はないが、でも「肌感覚」は完璧に身につけている。ただ、ジョブズのようにコードを書かないで「肌感覚」がわかるのは、ごく一部の天才中の天才で、それを標準にすべきではない。

少なくとも会計や法律に関する専門知識と同じレベルで、コードを書けることが経営者や政治家の基本的な教養になるべきだと私は考える。

別の言い方をすれば、経営者も政治家もリアリストであるべきだ、ということだ。これまでは世間に対するリアリストであれば良かったのだけど、これからは、デジタルデータつまりビットに対するリアリストであることが同等に重要になりつつあると思う。

本気でデータの保全をするというのは、とてつもなく金と人手がかかるということは、ビットに対するリアリストであれば、よくわかることだ。宣伝文句に何が書いてあっても、格安の業者がそれをちゃんとしていると思い安心してしまうのは、世間知らずというよりビット知らずだ。

上記の「アダルトサーバー屋」さんのように、偏執的にバックアップにこだわる人がリアリストだ。ビットはビットの法則で動き、人間がそれに適応するしかないことをよくわかっている。

もし、ファーストサーバの経営者がビット知らずでなければ、あの客層にあの運用という組み合せはなかっただろうし、ユーザの企業がビット知らずでなければ、格安業者の事故で致命的な事態にはならなかっただろう(実際、用途を限定して適切に使いわけていたユーザもあるようだ)。

ビットの持つもう一つの重要な特性として、「基準や常識がクルクル変わる」ということがある。クラウドという概念は最近できたもので、その役割や用途もこれからどんどん変わっていくだろう。「クラウド業者は必ずこれをすべし」という標準化や、「クラウドはこういう用途に使ってはいけない」という限定では、問題は解決しない。むしろ、状況が変化した時に事態が余計ややこしくなるだけだ。

法整備や業界標準の制定も必要だと思うが、補助的な策にしかならないだろう。意思決定の主体そのものが、ビットに対する肌感覚を普通に共有している、という状況を作る必要があると思う。

b-casカード問題も、ダウンロード違法化問題も、「ビット知らず」が社会を動かしていることの弊害が大きくなったという意味では、同じ構図ではないだろうか。「ビット知らず」がビットの法則に逆らい無茶を言う。ビットを扱う人間がそのわがままを吸収できているうちはそれでも何とかなるが、もう限界だ。

世間知らずのビット使いにもいろいろ問題があるとは思うが、世間知に長けているだけのビット知らずはそれ以上に問題だ。両方知らないとダメだと真剣に思う。


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