連鎖するハッキングとしての歴史

ここで、id:gamellaさんは、マルコム・グラッドウェルの「"つぶやき"では革命は起こせない」という記事を紹介して、最後に軽く異議をとなえている。

これは、社会を見る二つの見方を象徴していると思う。それは、「抽象化」と「ハッキング」だ。

グラッドウェルは、FacebookTwitterの細かい所にこだわらないで、「弱い絆」という概念で抽象化して、それを論じている。具体的な個別のサイトを直接論じるのではなく、ソーシャルメディア一般の機能として抽象化して考えることで、その限界を明らかにしている。

社会というのは複雑な現象だから、「抽象化」は大きな武器だ。

しかし、おもしろいのはここからで、「弱い絆」には「弱い絆」に非常に適した形の活用方法が多数存在する。例えば、骨髄移植の適格者が現れなかった場合、「○○を助けろ」というキャンペーンを行ったところ、2万5千人もの骨髄バンクへの新規登録者が現れ、実際に患者が助かった例が挙げられている。つまりフェイスブックやTwiterのような「弱い絆」は「多大なる犠牲を払う可能性のある運動」に参加するモチベーションとしては弱いが、多数の少しだけの善意を結びつけて何かを成し遂げるプラットフォームとしては非常に適している。

実際に、そこから導かれた「ソーシャルメディアの本来の機能を洗練させ、強化せよ」という提言は、サービスベンダーにとっても、それを受け止める社会の側にとっても、非常に有効性の高いものだろう。

しかし、id:gamellaさんは、そこに「ハッキング」という概念をぶつけている。

ハッカーは目の前におもしろい課題があると、その課題にすぐに取り組みたがるものだ。どうやって「弱い絆」で革命を起こすか?なんておもしろい課題を世の中のハッカーがほおっておくわけがない。

「ハッキング」とは、本来は、既成の世界観を組替えて、より世の中がうまく回るようなシステムを作り出すことを指している。コンピュータプログラミングと無関係ではないが、それに限定されることでもない。

歴史上の重要人物のしたことは、ほとんどが、価値観や世界観を引っくりかえし、それまで考えられなかったような行動に、多くの人を巻きこんでいく、という意味では、ハッキングと呼んでもいいだろう。

聖徳太子が仏教と神道を合成したのもそうだし、頼朝が京都に住まないで日本の支配者になったのもそうだし、信長が兼業武士をやめて専業武士による機動的な軍団編成を可能にし、楽市楽座の重商政策でその経済的な裏付けとしたのもそうだし、坂本龍馬薩長連合や大政奉還もそうだ。

歴史は基本的にネタバレしてるから、後世の我々はそれが定着した後の視点から見てしまうけど、これら全部、グーグルやFacebookが小物に見えるくらいの凄いハッキングなんだと思う。当時の人には理解できないような、大胆な概念の組み替えを行なっている。「そんなことができるものか」とみんな言っただろうし、そもそもそれを理解して反論した人がごく少数で、大半は何言ってるかわからないくて「ポカーン」だっただろう。

項羽と劉邦」なんかは、大小さまざまなスーパーハッカーが出てくるが、私は、その中では比較的地味目の蕭何が典型的なハッカーだと思う。

劉邦が秦の都咸陽を占領した時には、他の者が宝物殿などに殺到する中、ただ一人秦の歴史書や法律、各国の人口記録などが保管されている文書殿に走り、項羽による破壊の前に全て持ち帰ることに成功した。これが漢王朝の基礎作りに役立ったと言われている。

司馬遼太郎さんは、この功績を重く見ているが、ちょっと微妙な記述をしている。この時文書を押収したのは劉邦の将来のためということではない。蕭何という人は行政文書フェチで、当時としては最高レベルに整備された大量の行政文書の山を見て、自分のためにそれが欲しくてしょうがなかったのではないか、みたいなことを匂わせている。

そうだと思う。当時は、紙ではなくて竹簡が使われていたので、蕭何は竹簡フェチで、竹簡に触っていると時間のたつのも忘れるほどそれが好きで、その分だけその扱いに長けた竹簡ハッカーだったのだと思う。

これにつきあわされた蕭何の部下は、「この、おっさん馬鹿か?宝物が他に山ほど放置されてるのに、何で好きこのんで竹簡の束を運ばなにゃならんのだ」とブーブー言っていたに違いない。

実際、この咸陽占領は項羽から大目玉をくらい、劉邦軍は、そこから蹴とばされるように追い出されてしまうのだが、その時に、この文書を項羽に取り上げられたという記述はどこにもない。たぶん、行政文書にどれだけの価値があるか、誰も気にもとめてなかったのだろう。

劉邦項羽に負け続けるが、後方で蕭何が善政を行ない、人と物資を補給し続ける。蕭何の無限アップ技によって、この戦争は、項羽が無限に勝ち続けないと負けというゲームになってしまい、何回も勝ち続けた項羽が最後に一回だけ負けてゲームオーバー。この手品の種が、咸陽で押収した竹簡の束だったと私は思っている。

誰もそれがそれほど重要な意味を持つということに気がつかない時、そこをめがけて一目散に突進して、世の中を回転させてしまうことをハッキングと呼ぶ。

そういうハッキングが実は歴史を回しているのは、今も昔も同じだと思うが、ただ、最近のハッキングは、別のハッキングを誘発することが違う。

たぶん、Facebookを倒す者は、他の誰よりFacebookを使いこなし、Facebookによって仲間と資金とユーザを効率的に世界中から集めるだろう。

技術の本来の機能を洗練させていく「抽象化」という力と、思わぬ活用法を見出す「ハッキング」という力が、せめぎあっているのが、歴史というものだが、これからは、「ハッキング」の方が重要になっていくと思う。

次のハッキングが何であるかは予想できない。予想できないからそれがハッキングなのである。仮に予想できたとしても、それを実現する以外の方法で説明して、誰もがそれを納得してしまうならそれはハッキングではない。

ただ、抽象化のみに頼ることは、これからは危ういということは言えるだろう。ハッキングを勘定に入れるべきである。ネットが世界を変えることはないが、ハッキングはこれまでも世界を変えてきたし、これからも世界を変えていく。ネットはハッキングを連鎖させ加速する。そして、個別のハッキングは予想不可能でも、連鎖し加速するハッキングの進む方向は、ある程度は予想できる。



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