Twitter化する公明正大な早漏化社会

私は、1995年頃からネットに関係する仕事をしていて、だから、ついついプライベートでも雑談や相談ごとの中で「それはネットで(メールで)出来ますよ/探せますよ/随分楽になりますよ」等という発言をしてしまうことが多かった。そして、それに「私はそういうの駄目なタイプなんで」と答えてくる人が結構いた。

「タイプ」というからにはそれは何があっても一生変化しない属性であるはずなので、「だったらおまえ2007年の今でもネットやってないだろうな」と言いたくなるが、職種年齢性別性格その他さまざまであるがごく普通の社会人であったそれらの人たちは、たぶんというかほぼ確実に今はやっているだろう。

因果は巡って、Twitterというサービスが流行っていると聞いてその概要を知った瞬間に、私は「あっ、私こういうの駄目なタイプ」と思ってしまった。

特に最後の記事がかなり衝撃的で、「そうか、これやってると、生活パターンがわかってしまうんだ。やだな」と思った。別に具体的にこれを知られると困るということは無いけど、そういうふうにプライベートな生活が露出してしまうということには、かなり抵抗がある。

2019年頃に、もしこの文章を読む人がいたら「『タイプ』というからには何があっても一生変化しない属性で、何があってもおまえTwitterには手をつけないだろうな」と言うだろうが、たぶんその頃にはやってるだろう。当然のように使っているだろう。

もちろん、ネットの進化速度を考えたら、Twitterが今のまま12年後に残っている可能性はほとんどないが、これよりはるかに過激にプライベートな生活を露出するサービスを、何の抵抗もなく使っていると思う。Twitterの本質は、だらだらとプライバシーを露出しあっている状態を背景として、必要に応じて機能的な目的のあるコミュニケーションが進行していくことで、この特性はより過激になることはあっても薄まることはない。

おそらくその頃には、こういうサービス上で一定の人脈を構築しないと簡単な仕事をすることもできなくなり、それが社外に広く開いてないと充分な仕事をすることができなくなり、社外での信頼を獲得する為には、一種の作法として趣味やプライベートな情報を公開せざるを得なくなる。有能と呼ばれる人はほぼ確実に、積極的に全てを公開するようになっている。

「そんな馬鹿な」と思ったあなた、あなたも12年前には「そういうのダメなタイプ」じゃなかったですか?「ダメなタイプ」だったはずなのに、今は当然のようにメールをビジネスに活用していて、もらった名刺にメールアドレスが無かったら「何でメールアドレスのある名刺をくれないんだこの人は」といぶかしがるようになっていませんか?

  1. 世にあるビジネスの大半は情報/判断/決断/教育といういったものの比重が増し「知識産業化」する
  2. そういうビジネスにおいては、大なり小なり組織外部とのネットワークを持つ何らかの専門家になることが必要
  3. ネットワーク構築の為には、フックが多い方がよい
  4. フックとして個人の持つリソースを全面的に動員する必要がある
  5. 本当に好きなことしかフックとして機能しないしネットワークの中で評価を得られない

という過程で、仕事と趣味の境目が薄くなり、公私混同が進み、情熱を持てる分野以外で仕事をすることが難しくなる。一定の手順に添って成果が得られるような仕事は、バイトがググれば出来てしまうので、そういう仕事に高給を払っていては、競争に負けてしまうだろう。高給が払えるような仕事はググるだけでは解決できない仕事で、そういう仕事の大半はここに書いたような意味で「知識産業」的になっていく。

Twitterは、こういう意味での「専門家」が「ネットワーク」を広げたいという潜在的なニーズに、なかなかよく合っていると思う。

世の中がそういう方向に慣性を持ちはじめたら、「私そういうのダメなタイプ」という障壁は、意外と脆いものだ。

(本文終わり。以下、追記のようなメイキングのような補足のようなもの)

このエントリは、本音ベーション(本音+イノベーション)に対するid:Martin921さんの次のコメントから思いついたものです。

すなわち「本音ベーション」によって、世界や日本を変えてしまう企業/ コンビニエンスストアだったり/ 携帯電話だったり/ ipodだったり/ 2chでだれても言論で虐めが可能だったり/ winny裏ビデオというわいせつ物頒布罪収集だったり/

「本音ベーション」とは「マスターベーション」という欲しい欲望がすぐ入手できて昇華される意味だと思う

と言っても、このコメントは私にはわかりにくく、本文とのつながりも薄いように感じるのですが、公案のようにこれについて考えているうちに、「早漏化」というキーワードと、Twitterをネタにこの変化のある側面を強調するような書き方を思いついて、このエントリの前半を書いてみました。

社会はこういう方向に急激に変化して、それによって我々はプライバシーを失う代わりに、劇的に不正の可能性の少ない社会を得ることができます。そして、この方向への変化は、もう後戻りできないくらい決定的に起こってしまっていると、私は思います。

これを押し止める方向に努力するのは、無駄なあがきであり、事態をややこしくするだけ。

むしろ、早漏化する権力から離脱しそれと共存する自由を確保すべきだと思います。つまり、Twitter(的なもの)からドロップアウトする自由は全面的に確保されるが、それによって社会を動かすような立場に立つ権利は自動的に失うことなる、そういう社会。社会を動かすエリート層を、支配される側がTwitter経由で監視する社会。離脱し監視する権利が確保され、選択の自由があれば、それはそんなに悪い社会ではないと私は考えています。