敬語/タメ口のジレンマ
FIFTH EDITIONさんの匿名制とID制とゲーム理論の話に、REVさんが面白いコメントをしている。
idで紳士ぶって、匿名で叩くと強いです
これが非常に深いもので面白いツッコミだったので、ちょっと解説してみたい。
コメント内に紹介されていたURLが、戦略ゲーム『繰り返し囚人のジレンマ』記念大会開催。『繰り返し囚人のジレンマ』とは、たとえば、知らない人と話するのに、敬語/タメ口のどちらにするか迷う時のような状況を理論的に定式化したものだ。
相手が敬語 | 相手がタメ口 | |
自分が敬語 | 知らない人同士ならこれが普通というか一番望ましいよやっぱり | バカ相手に下手に出てしまったア゛ー無茶苦茶気分悪い |
自分がタメ口 | シマッタこれは自分がバカと思われるなあ困った | 相手が相手だからこれはしょうがないけど堕落したなあ俺も |
「敬語は疲れるから嫌い」という人は、2ちゃん風罵倒語の有無くらいに置きかえて読んでください。
このマトリックスは厳密に言うと理論にマッチしてない所があるが、ポイントはこの判断基準の人が二人出会う時にどういう結果になるかということ。
日常の会話において知らない人とは当然のように敬語で話す人の中にも、ネットではタメ口や2ちゃん用語から入る人がいるだろう。FIFTH EDITIONさんが紹介しているゲーム理論の話は、その違いを『繰り返し囚人のジレンマ』というモデルで説明しようとする。つまり、日常の会話というのは継続的に続くものだから、最初のうちに多少の行き違いがあっても、「まともな人にはまともな話し方で、バカにはそれなりの話し方」という戦略が一番うまくいく。つまり、気分の悪い思いをする可能性が最小になる。しかし、ネットでは一発勝負だから、「自分が敬語で相手がタメ口」というのが猛烈にシャクにさわる人は、無条件に先手でタメ口を使う。結果、双方が実はまともなのにまともでない対話に堕ちてしまう。
敬語/タメ口の価値観は人によって違うのでさまざまな行き違いが起こるのは当然だが、重要なことは、一発勝負的状況においては「敬語対敬語が一番望ましいとする人同士が出会っても、タメ口対タメ口」になってしまうということだ(理論的に言えば双方がmini-max戦略を取ると最適値でない解に収束する状況)。しかし、継続する対話では双方が望ましいとみなす「敬語対敬語」になる。これがFIFTH EDITIONさんが紹介しているゲーム理論的分析だ。そこから、「ID制ならばまともな人はまともなふるまいをしてまともなつきあいがなりたつ」ということが期待できるとしている。
REVさんはのコメントは、「その分析には最新の理論的発展があって、ID制はID強制でないと機能しない」という趣旨だと思う。そこで紹介されている記事は、この例にあてはめれば「バカが多いネットでどうふるまえば一番気分がいい思いをできるか」ということを研究する為の大会だ。コンピュータ上に作られた「敬語/タメ口のジレンマ」的状況のもとでプログラム同士が戦い、ポイントを競う。これまで、ここで勝つ戦略は「まともな人にはまともな話し方で、バカにはそれなりの話し方」系の戦略で、実質的にその方式の中での微妙なチューニングを競う大会であった。
ところが、今回の戦いで優勝したチームは、全く違う発想の戦略で優勝してしまった。その戦略は「idで紳士ぶって、匿名で叩く」というものだった。一つの団体が複数のプログラムをエントリーできることを利用して、自作自演をして優勝したのだ。
つまり、一人がまともな戦略をしている中で、(密かにそれを支援している)別のプログラムが無茶苦茶なふるまいをする。もちろん、自暴自棄に無茶苦茶なふるまいをするプログラムはみんなに叩かれるので得点を得られない。しかし、自分が堕ちる時に、競争相手にダメージを与えることはできる。まともな人同士が僅差の戦いをしている中で、馬鹿に引きずられて他のまともな人はみんなおかしくなってしまった。その方法が有効であることをこの優勝者は証明したのだ。
もともとこの大会でゲーム理論の人は何をしようとしていたのかと言えば、「最後に愛が勝つ」ことを数学的に実証しようとしていたのだ。ゲーム理論や囚人のジレンマは、数学的に厳密なモデルでその分だけ実世界から遊離している。だから、それが証明できたとしてもすぐにそれを現実世界に応用して世界を平和にできるわけではないが、とにかく、「最後に愛が勝つ」とか「愛が無い奴は最後には損をする」ということが一部の隙もなく数学で証明できれば気分いいではないか。ところが、思わぬ横槍が入ってそれが否定されたどころか、「最後に自作自演の荒らしが勝つ」というトンデモないことが証明されてしまったわけである。(もちろん、さらにこれに対する対抗策が研究されていると思うが)
そして、これが理論的問題に対するツッコミであると同時に、「匿名を許す場がある限り、ID制は機能しない。なぜなら少数のタチの悪い自作自演荒らしが全てを破壊してしまうから」という現実的な問題点の提起にもなっている。そこが面白いと思った。