羽生という逆境を糧にした森内、谷川に拍手

将棋の強さは、序盤研究、形勢判断、読みの深さ、筋の良さ等たくさんのサブシステムに分解できます。しかし、企業の経営と同じで、個々のサブシステムが優秀でも、実際の勝負の中でそれらを統合して運用する経営者的な部分が優れていないと勝てません。羽生さんの強さは、もちろんどのパーツも超一流ですが、経営者的な部分が他の棋士よりはるかに優れている所にあるような気がします。

そう考えると、そういう人が自分と同じ時代に生きていて、タイトル7冠保持者として自分の目の前に立ちふさがった時の、他の棋士の絶望感はどれほどのものか想像できません。

特定の要素が抜きん出ていてそのことで勝ち続けているならば、そこに資源を集中するか、それと直接対決することを避けて別の形の勝負を作ることできるかもしれません。しかし、経営者が優秀であるということは、自分より強い相手がどういう状況でも最善の手を打ってくるということです。読みを間違えることはあっても、読みを間違えるべきでない時には絶対に間違えない、鬼手をたくさん出すわけではないが、大事な勝負のここぞという局面で鬼手を出す。将棋が強い人でないとわからないすごい圧迫感があったと思います。

これと比較するとIT産業の独占なんてかわいいものです。マイクロソフトであれIBMであれGoogleであれ、全くつけいるスキがないとは思えません。もちろん、どの会社も凄い会社ですが、その会社の強みをひとつだけあげるとして、経営者が一番に来るとは思えません。ビル・ゲイツは優秀な経営者ですが、その市場シェアに見合うほど優秀かどうか、ゲイツ抜きのマイクロソフトと、シェア半減したマイクロソフトはどちらが強いか。経営者自身に強さの源がある企業は存在しない。絶対間違わない経営というものがもしあれば、どんなに環境が変化しても絶対的な強さを保ち続けるような気がします。羽生さんの強さの性質はそういうものだと思います。

その羽生さんに、森内九段が竜王戦で三連勝しました。もずさんによると、


△7九飛成からの寄せは控え室でも見えていなかったということで、絶妙手でしたね。

ということで、見事な勝ち方だったそうです。

森内さんという人は羽生さんと同じ年で、小学生名人戦からずっとライバルだった人です。ということは、将棋を始めてからずっと羽生さんに負け続けてきた人だということです。まだ、決まったわけではないし、勝負というのは本当にわかりませんが、少なくともここまではその森内さんが羽生さんを圧倒しています。羽生さんが調子悪いとか、弱くなったということではないと思います。森内さんは、あきらかに強くなっています。「駒損して勝負手を出して攻めきって勝つ」というのは、受け主体だった森内さんにとっては新境地ではないかと思います。

これには本当に感動しました。勝負の行方はわからないし、たとえ今回の竜王を取れたとしても、これ以降はまた羽生さんが勝ち続けるかもしれません。でも、確実に言えることがひとつあります。森内さんはどれだけ負けても腐らなかった。将棋に対する情熱を失なわなかった、それだけは確かだと思います。

これは羽生さんと同世代の人、ほぼ全員に言えることです。これだけ強い人がいても、全然あきらめていません。みんな本当に将棋が好きなんだな、と思います。

「好きなことして稼ぐんだから、それくらいあたりまえ」と思う人もいるかもしれません。しかし、もうひとりの巨人、大山名人の全盛期と比べるとよりハッキリすると思います。もちろん、時代も違うし、将棋の技術の性質も違いますから簡単に比較できることではないですが、大山名人の時には、他の人は大半が戦う前からあきらめていたような気がします。大山名人の強さも経営者的な強さであって、この人には本当に勝てる気がしない、と思わせるものがあったように思うのですが、彼の時代の人は完全にそれに飲みこまれていて、対抗する気を無くしていたのではないか。それと比較しても、羽生世代の人間的な強さというものを感じざるを得ません。

森内さんにも感動しましたが、それともう一人の天才、谷川浩司さんにも同じことを感じました。この人の場合は、

  • 羽生さんより年長である
  • まぎれもなく天才であり天才と言われ続けてきた
  • 将棋をゲームでなく人間力の対決と見る観点を持った世代
  • 7冠を取った時に負けたのがこの人

ということで、同世代よりもっと辛いものがあったと思います。でも、この人も「光速の寄せ」の受けバージョンとでも言うべき新境地を開拓して、羽生さんに対抗しつつあります。どのタイトル戦だったか忘れましたが、きわどくて美しい受け、いかにも彼らしい受けの好手を連発して羽生さんに勝った将棋がありました。手厚さの無い受け将棋というものがあり得るのか、とその独創性に感動しました。

これから我々は逆境の時代に突入するそうですが、こういう人たちを見習って生きたい。がんばるとか精神力とかそういうことではなく、ただ毎日好きな将棋を指し続ける、それをブレずに続けることが大事なんだと思います。