「現実主義」というイデオロギー

オープンソースに対して「スーパープログラマがタダ働き?そんな青くさい理想主義にはかまってられんよ。もっと現実的な話をしよう」という反応をする奴がいる。

しかし実際には、プログラマというものは、一応食えるようになったら「面白いことしたい」という気持ちと「儲けたい」という気持ちを両方持って、揺れ動くのが普通だ。両者が半々で悩むのが多数で、天秤がどちらかに傾く奴もいるが、純粋に片方だけというのはめったにいない、という所が「現実」なのではないだろうか。

ところが、いわゆる「現実主義者」たちは、そういう実態を頑として受けつけない。「人間は本質的には利己的で、本音では経済的動機のみで動いている」というのが彼らの信念であり、どのような「現実」をつきつけられてもその信念は揺らぐことがない。

つまり、「現実主義」というのはイデオロギーであって、あらゆる実体を「理想」と「現実」に分割して、前者は存在しないことにするという世界観である。あらゆるイデオロギストがそうであるように、これに異議をとなえると、データをもとに冷静で論理的な反論をすることはできず、ムキになって感情的な反応をする。

佐々木さんの言う「55年プレーヤー」のメンタリティーの問題点はここじゃないかと思う。つまり、彼らはモラルが不足しているのではなく、「現実主義」というイデオロギーに毒されていて、世界観がひどく歪んで限定されていることが問題なのだ。

一番困るのが新聞の政治部で、このために小沢一郎鳩山由起夫の言動を正確に報道することができないのだ。俺は彼ら二人を支持するわけではないが、彼らは政治家の中では「現実主義」というイデオロギーから脱した所があって、旧来の「理想」からも「現実」からもハミ出た言動をする。その部分が重要だと思うのだが、新聞にはそこが一切報道されない。新聞の政治部記者がそこを理解できないのも批判するのもかまわないが、「現実主義」の枠に押しこめて勝手読みの見当はずれの解釈を加えて報道するのは困るんだよ。