スマホのリスクについて教えるなら、大事なのは「パブリック」という概念を理解させること

うーん、この告発の通りなら、この講師の方は、はっきりと間違った知識を子供たちに教えていることになるので、大きな問題だと思います。そこは、すぐに訂正してほしいです。

でも、これは講師の人の個人的な主観というよりは、先生方や保護者の要望を取り入れて数をこなしていくうちに、そういう方向になっていったということだと思います。

個人的には、「子供たちに嘘を教えている」ということに対して、先生方の反応が鈍いということがショックでした。学校の先生というのは初等教育といえども学問を教える人ですから、「知識の正しさ」というものにはもっとこだわりがあってもいいんじゃないかと思います。

それで、「小学校の先生のミッションは何だろう?」ということを考えてしまったのですが、これはおそらく今では「子供たちを守る」ということなんですね。これに必死になりすぎて、他のことを考える余裕がない、保護者も第一にそれを求めてくる。そういうことかなと思いました。

だからこの問題の本質は「先生や親御さんたちは、どうしてインターネットをそれほど怖がり、子供たちにも同じように怖がってほしいと思うのか」ではないでしょうか。今は、インターネットに偏見があって、その偏見を子供たちの押しつけている状態なので、これをなくすことが第一ですが、偏見がなくなって技術を理解したら、インターネットは怖くないものになるのか。

私はこれについて、次のように考えています。

  • インターネットが怖い人は、ネットの中のコミュニティのあり方が現実社会と違うことにとまどっている
  • それに対応できない理由は、ネットの流儀を知らないからではなくて、無意識的に理解、実践している現実社会の流儀を言葉にできず、意識できないから
  • 「インターネットを怖がらない」を目標にするのではなく、両者の(社会構造の)違いを理解することが重要

だから、必要なのは、ネットについての啓蒙ではなくて、「典型的な日本人が社会をどのようにとらえているか」ということを言葉として理解した上で、ネットと対比することだと思います。

こういう観点から、中学生や高校生に対して講演するとしたらこんな感じでどうかな?というものを書いてみました。(やっぱりちょっと難し過ぎるかもしれませんが、本当のターゲットは親御さんと先生方です)




はい、では今からみなさんにスマホについての話をします。

(なんでもいいから、つまらない話を5分ほどする)

さて、ここから本題に入りますが、最初に、ちょっと想像してほしいのですが、みなさんがひとりひとり半透明の繭のようなもので覆われているのをイメージしてください。いいですか、では、その繭をクラス単位で覆うものすごく大きい繭を思い浮べてください。それができたら、今度はもっと大きな、この体育館を全部覆うくらいの、大きな...

(ここで、客席の生徒の一部が騒ぎ出して、先生から注意を受ける)

はい、今の人、ちょっといいかな。名前を教えてくれる?...小宮君ですか。小宮君ね、もう一人の人は... 相田君。はい、ありがとう、小宮君と相田君ね。はい、ありがとうございます。

みなさん、私の話は面白くないですか?たぶん、そうなんですね。今日、これが終わって誰かに「今日の話はどうだった?」と聞かれたら、みなさんは何て答えるでしょうか。

たぶん、一年の他のクラスのみなさんは「二組の小宮が騒いで先生に怒られた」っていうでしょう。二年や三年のみなさんは「今日、一年でうるさい奴がいて、先生に注意された」と言うかもしれません。あるいは、今日来ていらしているおかあさん方は、

「今日、講演の時に騒いで注意された子がいるの、ほら、あの、○○町の小宮さんちの下の子」

「へえ、そうなの、小宮さんとこの?お兄ちゃんはいい子なのににねえ」

とか、噂話をされるかもしれません。

今日は、来賓の方も何人かいらっしゃってます。そういう方は「○○中学校の生徒は行儀が悪いねえ」とおっしゃるかもしれません。

もし、小宮君と相田君が部活の大会で勝ち進んで県大会に出て、そこの開会式で同じようなことをしたら、「○○市の子は」と言われるし、さらに全国大会に進んだら「○○県の子は」です。

私は、帰ってから「最近の中学生はダメだねえ。人の話を聞く態度ができてない」と言うでしょう。

ここで注目してほしいのは、同じ小宮君のことを、それぞれの人が違う呼び方で呼んでいることです。「小宮さんちの下の子」「二組の小宮」「一年の小宮」「○○中学校」「○○市の子」「○○県の子」「最近の中学生」

これが、さきほど、思い浮かべてくださいと言った繭とは、このことです。みなさんは、○○家の一員であり、○○町の住民であり、○○組の生徒であり、○○中学校の生徒である。これが全て見えない繭なんです。

そして、繭の外側に出ていくたびに、そこにいる人たちがみなさんを見る目は変わります。「○○市の子」「○○県の子」と言う人たちは、みなさん個人を見ているのではなく、その繭のようなものの方を見てると言えるかもしれません。

みなさんがここでおとなしくしていないと、それはみなさん個人の恥ではなくて、○○家の恥、二組の恥、○○中学全体の恥になります。つまり、繭の外側にいる人からは、一番外側の繭しか見えません。私は、みなさん全員を「中学生」という繭を通して見ています。だから「最近の中学生は」と言うのです。

みなさんは、今はまだ、先生に注意してもらわないと、なかなかどこに出しても恥ずかしくない○○中学の生徒としてふるまうことは難しいかもしれません。これから、大人になっていくにつれて、先生に言われなくても、その繭の中で「恥ずかしくないふるまい」ができるようになります。

たとえば、みなさんが、将来どこかの会社に入ったとすると、みなさんは「○○会社」の一員であり、その中の「○○部」の一員、「○○課」の一員のように、自分が今いる立場を意識して行動できるようになります。

「恥ずかしくないふるまい」ができるということは、逆に言えば不自由を感じているということです。繭の中にいる人はみんな少しだけ窮屈な思いを感じているでしょう。

みなさんは、これからも見えない繭に何重にも取り巻かれて生きていくでしょう。時にある繭から出て別の繭に入る、それは人生の節目で何度かあると思います。しかし、自分の回りを何重もの繭が取り囲んでいることには違いがありません。

いったいこの話とスマホのどこが関係あるんだ?と思われているかもしれませんね。でも、スマホを扱う時に、一番注意すべきことは実はこの繭のことなんです。

この世界には、繭の外側というものは存在しないのですが、ただ一つだけ、繭の外側に出る方法があります。ただ一つだけある繭の外側、それは、みなさんが持っているスマホの中です。

今日は、ひとつ大事なことを教えます。それは「パブリック」という言葉です。これだけは覚えて帰ってください。

英語の授業では「パブリック」という言葉は「公共の」と教わるでしょう。。でも、インターネットを使っている時には、「パブリック」の意味は「全員に公開」と覚えておいてください。スマホを使っていると、「全員に公開」という言葉を見ることが多いと思います。その時は、「ああ、これは英語のパブリックの意味だな」と思っていいと思います。

そして、この「全員」という言葉は、すべての繭を取り去った状態での「全員」というふうに理解しておいてください。ふつう、「全員」とか「みんな」は、クラスの全員とか友達全員という意味、つまり、ある繭の内側にいる「みんな」を意味していますが、これは「パブリック」でいう「全員に公開」とは違います。日本人全員、いや、外国の人も含めて全ての人間を意味します。

数年前に、飲食店でアルバイトをしている学生さんが、厨房で悪ふざけをしている写真をツィッターに公開して、大きな問題となりました。その人は「全員に公開」を「友達みんなに公開」という意味で受け取っていたのだと思います。

パブリックでない場所で起きた問題は、繭の中で処理されます。

もし、あれがツィッターでなければ、それは彼の仲間うちで話題となり、その中には「ちょっとあれはやりすぎじゃない」と注意する人がいたかもしれません。もし、彼がその忠告を聞きいれずに、もっとやり続ければ、地域の中で噂話となり、先生とか親御さんの耳に入り、そこで彼はひどく怒られて両親に連れられて店長さんにあやまりに行くはめになるでしょう。もし、そこでさらに彼が言うことを聞かなければ、「すごいワルがいる」と彼の名は地元よく知られることになるかもしれません。

つまり、繭の中では、噂は少しづつ広がり、その噂が繭を超えるたびに彼には反省するチャンスがあるのです。そして、彼の悪い評判というペナルティもそれにつれて少しづつ大きくなります。

現実世界では、繭をひとつづつ出るたびに少しづつ危険性が高くなります。RPGで、物語を進めてレベルが上がるたびに、だんだんモンスターが強くなるのと同じです。

しかし、インターネットの中の「パブリック」は、繭を全部取り去った状態での「全員に公開」を意味していて、一晩で日本中から叩かれる騒ぎになるのです。

インターネットは、ある意味ではとんでもないクソゲーです。最初の町を一歩出たとたんに、ラスボス級のとんでもないモンスターがうろついています。途中でやりなおすチャンスがほとんどありません。

でも、パブリックであることは悪いことかと言うと、そうとも言えません。

みなさんは、(近隣の大都市をあげて)○○市に子供だけで遊びに行ったことはありますか?もし、行ったら、きっと、ワクワクドキドキすると思います。ふだんいる繭の外に出る時は、誰でもワクワクドキドキするものです。

上級生と友達になったり、夜遊び歩いたりすることもそうでしょう。本やゲームで物語の中に入りこんで夢中になる時もそうでしょう。みなさんは、いつも繭の中にいて、窮屈な思いをしているので、こういう繭を脱ぎ捨てる行動には、いつもワクワクドキドキするのです。

ワクワクするのは、そこに普段とは違う世界が見えるから、ドキドキするのは、そこには未知の危険があるかもしれないと思うからです。繭をたくさん突き抜けると、ワクワクドキドキ感が強くなります。○○市に行くより東京へ行く方がもっとドキドキするし、外国へ行ったらもっとワクワクします。門限破りも8時より10時の方がワクワクするし、朝まで遊ぶ方がドキドキします。

繭の中では、ワクワクもドキドキも少しづつ強くなっていくので、誰でもちょうどいいドキドキ感がわかります。みなさんはまだ今は、ちょうどいいドキドキ感がわからなくて行きすぎてしまい、先生や親御さんに怒られます。でも、これは、RPGのレベル上げと同じで、怒られながら覚えていけばいいことです。

スマホで遊ぶことは、ドキドキよりワクワクの方が強いかもしれません。実は、スマホで危いことをするのはとても危険なことなのですが、夜遊びや旅行のようなドキドキ感はないと思います。でも、スマホの中に入る時には、全ての繭をいっきに脱ぎすてることなので、本当は、ライオンのいるジャングルに入るくらいドキドキすること、つまり危険と紙一重のことなんです。

これは、悪いことをしなくてもそうです。たとえば、YouTube に動画を投稿したとします。YouTube の動画は「パブリック」なもので、誰でも見ることができて誰でもコメントを書けます。普通、知らない人がコメントを書くことはないですが、もしその動画が面白かったら、たくさんの知らない人が見にきて、その中には思わぬ悪口を書く人もいます。

学校の中で悪口を言われる時には、誰がどういうことを言うかだいたい予想がつくし、そうでなくても悪口を言われた時に、誰がなぜそういうことを言うか、ある程度わかります。でも、インターネットでは、思いもよらぬことで怒り出す人や、ひどい言い方で悪口を言う人がいます。現実世界にもそういう人がいますが、繭の中にいる限り、誰かがそういう人と出会わないように守ってくれているのです。「パブリック」ということは、一切の繭なしに、そういう変な人と直接会うという意味なのです。

だから、本当は、スマホに何か書く時は、ライオンの横を通り抜けるくらいドキドキして、心臓が口から出そうな気持ちになるくらいでちょうどいいのですが、ほとんどの人は、ただの小さな機械に対して、そんなふうに考えることはなかなかできません。

「ワクワク」と「ドキドキ」をつりあわせるのは、難しいことです。

これについては、将棋の藤井聡太さんの活躍が参考になるでしょう。

藤井さんが若いうちから活躍できるのは、もちろん本人に特別な才能があるからですが、それだけではなく将棋というゲームのルールがハッキリしているからです。

将棋には、二歩とか打歩詰めといったルールがありますが、「この手が二歩であるかどうか」ということについて、みんなの顔色を見たり、みんなで話しあったり、先生に意見を聞いたりする必要はありません。将棋をする人なら、誰でも、その手が二歩であるかそうでないかわかります。そして、そのルールの中で勝敗がはっきりと決まります。

YouTube であれば、動画が面白いかどうかだけが問題で、ツィッターであれば、ツィートが面白いかどうかで決まります。小宮君がYouTube に動画を投稿したとして、「おまえ、どこ中の小宮だ?」などと言われることはありません。その動画が面白いかどうかだけが問題で、それは「いいね」や「購読者」の数として、誰にでもわかるランキングになります。

「パブリック」であるということは、誰でも参加できるということなので、その場のルールが誰にでもわかるようになっていないと困ります。そして、インターネットはコンピュータで動くものなので、ルールがコンピュータに組込まれています。半分はみなさんのスマホで動くアプリの中に組み込まれていて、半分はサーバという、スマホが接続するコンピュータに組み込まれています。

藤井さんのように、自分がしたいことがハッキリしている人にとっては、「パブリック」な場のこういう性質は、よいことだと思います。「パブリック」な場は、ライオンの横を通るくらいドキドキしてちょうどいい、と言いましたが、将棋盤の上では、藤井さんがライオンです。どういう猛獣が来ても、将棋盤の上なら彼は誰とでも対等に戦えます。だから、守られる必要はありません。

だから、繭の世界にも「パブリック」の世界にも両方いい面と悪い面があります。

藤井さんがお手本になると私が思うのは、この二つの世界の区別がきちんとできていることです。

将棋は、誰にでもわかるハッキリとしたルールで動いていると言いましたが、プロ棋士の仕事は将棋を指すだけではありません。プロ棋士もひとつの職業であり、日本将棋連盟という団体が主催しているものなので、多くの人がかかわっている繭の世界でもあります。

プロ棋士になるような人は、小学生からその道を進みはじめるので、こういういわば「大人の世界」に入る世話をする人として、師匠という、将棋の世界での親がわりになる人がいます。藤井さんは、将棋盤の上では猛獣のような先輩棋士を遠慮なく負かし続けていますが、盤を離れた時には、この師匠の言うことをきちんと守る、とても良い子です。

いくら天才将棋少年でも、ひとりのプロ棋士として、先輩棋士やスポンサーやファンやマスコミにどういう話をしたらいいのか、そういうことについては、ゆっくりと覚えることしかできません。経験値を積んでひとつづつレベルを上げていくしかないのです。

藤井さんは師匠の言うことをきちんと守り、師匠は藤井さんを繭で守った上で、少しづつ必要な経験ができるようにしています。藤井さんは将棋では師匠よりずっと強いのですが、将棋盤を離れたら師匠に頼らないとやっていけない、自分が将棋に専念するには師匠の言うとおりにした方がいい、そういうことがよくわかっているのだと思います。

みなさんの中には、スマホについて、おとうさんやおかあさんよりよく知っている人もいると思います。また、その中には、自分がしたいことがあって、藤井さんのように大人にまじって腕試しをしたい人もいるかもしれません。そういう人にとっては、ひとつずつレベル上げをしていくようなやり方はまどろっこしく思えるでしょう。

でも「パブリック」な場所の怖さというのは、繭の世界と比べることでしかわからない部分があります。だから、仮に自分が活躍できる場所、ワクワクいっぱいで楽しめる場所を見つけたとしても、その場所が本当に大事だと思うなら、藤井さんのように、大人の言うことをちゃんと聞いた方がいいでしょう。

それと、私が今日「みなさんはたくさんの繭に守られている」と言った時、「回りの友達はそうかもしれないけど、自分は守られてない」と思った人がいるかもしれません。そういう人は、「パブリック」な場所こそがあなたを守る場所になるかもしれません。でも、それは両方が違う性質の場所であることをよくわかって、よく見比べてから決めましょう。

最後にもうひとつ大事なお話があります。

実は、さきほど小宮君と相田君が騒いで怒られたのは、いわゆるヤラセです。私が、先生を通して、二人にお願いしたことです。今日のお話をするために、あそこで騒いで注意される人がいてくれた方が話しやすかったからです。

インターネットには、こういう嘘をつく人がいっぱいいます。「ライオンがうじゃうじゃいるジャングル」と言ったのは、平気で嘘をついて人をダマす人がたくさんいるという意味でもあります。嘘のつきかたにもいろいろありますから、これにも注意してください。