ロードマップ指向とエコシステム指向

IT業界の世代間ギャップを「ロードマップ指向 VS エコシステム指向」という図式でまとめるとうまく整理できるような気がしてきた。

他の業界でも、常に勉強してないと仕事にならない所では、似たような問題があるかもしれない。普通の人は「ロードマップ」の中では真ん中を進むべきで、「エコシステム」の中では真ん中を避けるべきだ、という話。


私は、80年代からずっとプログラマをしていて、今でも現場でコードを書く仕事をしているので、同世代の人から、彼らと現場の若い人との仲裁役というか通訳のようなことを期待されることが多い。

確かにそこには微妙なギャップがあって、自分はどちらの言い分にも共感する所があるので、なんとかそれを言葉にしたいのだが、なかなかうまく言えなかった。

プログラマという仕事は、今も昔も勉強をしてないと普通の仕事も成立しないのだが、その勉強の仕方というか意味づけが、違ってきていると思うのだ。単純に言えば、量の問題である。今は勉強すべきことがずっと多い。

しかし、量の問題としては、何年も前に現場を離れて管理職になっている彼らも認識している。いやむしろ、俯瞰できる立場にいる分だけ、勉強の必要性もその必要量が拡大していることもわかっている。

では何がズレているのかと言うと、それがうまく言えなくてモヤモヤしていたのだが、ここに「ロードマップ指向 VS エコシステム指向」という図式をあてはめればいいのかもと、思ったのだ。

90年代くらいまでは、IT業界には「ロードマップ」という長期計画があった。基本的には、コンピュータメーカが顧客に対して「うちは、今後数年間、こういう技術でこういう問題を解決していきます」という見込みを述べて、セールスのプロモーションに使うものだ。

しかし、これは単なる売り込みの口上ではなくて、技術者サイドに計画的なスキル開発を促すものでもあった。

たとえば、私が仕事を始めた頃は、RDB(リレーショナルデータベース)という技術が導入され始めた時期だった。そうするとロードマップには「次のバージョンからはRDBを標準サポートして、従来はできなかったリアルタイムのレポートを作れるようになります」とか書いてあった。

私の上司は、これを見て、チームの中で誰にこれを勉強させて、どの顧客を実験台にしてRDBを試すのかとか計画する。そして、重要な顧客がRDBに切り替えるタイミングまでに、自分の部下の大半がこれの経験を積んでおけるようするためのストーリーを組み立てる。

つまり、ロードマップは、スキル開発のガイドラインになっていて、これを頼りに、誰が何をいつどれくらい勉強すべきかを考えるのだ。

この時代を経験している人は、今でもこの「ロードマップ」があるかのように、プログラマの勉強について考えているような気がする。つまり、これに従えば確実に見返りがあって、これに遅れると確実に失業するような計画表がどこかにあって、それを読みとることが成功で、それを読みきれないことが失敗であると。

しかし、今の業界は、「エコシステム」の時代だ。熱帯雨林のように、食いあいつつ共生しあうさまざなタイプのプレイヤーが、自分の為だけの個別の意思決定をして、その相互作用で技術が発展していく。

「エコシステム」は矛盾だらけで、ある技術が発展するのと同時に、そのアンチテーゼとなる技術も伸びる。たとえば、今は、RDBが標準化して、その次の NOSQL というタイプのDBが普及しはじめている時期だが、一方でRDBを NOSQL に適した分野で使うための「Web Scale SQL」という技術が開発され ていたりする。

「数年後に、みんなで一緒に RDB から NOSQL に乗り換えましょう」などという、整合性のあるストーリーを考えてくれている人はいない。

「Web Scale SQL」でも「NOSQL」でも仕事はあるだろうけど、あなたにとってどちらがいいかを教えてくれる人はいない。

問われているのは、「Web Scale SQL」と「NOSQL」が熾烈な生存競争を繰り広げる中で、あなたは、どこに自分のポジションを持とうとしているのか?ということだ。プログラマが勉強すべき技術のあらゆる項目に、こういう行方の見えない生存競争がある。

自分が「エコシステム」の中のどういう位置にいて、何と協力して何と戦うのか、そういう自己認識がないと、これから何を勉強したらいいか、何を勉強させたらいいか考えようがない。

「ロードマップ」も「エコシステム」もプログラマにとって適応すべき環境であることは同じだが、その適応のしかたは随分違っている。「ロードマップ」は、相手の意図を読み取ることが重要だが、「エコシステム」には意図がない。意図を持つのは自分の方で、自分の意図が明確にならないと、方針が決められない。

「ロードマップ」には全体像があって、全体像を把握した上で自分に関連する部分の詳細を見ていくことが必要だが、「エコシステム」は人間の理解を超えていて全体像は見えない。むしろ、最初に自分の回りを見て、必要に応じて、視野を少しづつ拡大していく見方の方が有用で現実的だ。

「ロードマップ」が指し示す未来の方向と違う方向に進むことは致命的な間違いだが、「エコシステム」はむしろ中心部がレッドオーシャンで、周辺部に生き残りが容易なブルーオーシャンがある。「エコシステム」の中で王道を進むには、並みはずれた他の者にはない強みを持っている必要がある。

普通の人は「ロードマップ」の中では真ん中を進むべきで、「エコシステム」の中では真ん中を避けるべきだ。

どんな仕事でも「知識」が大事になっていると思うけど、その「知識」の体系が、人が考えたものなのか自然発生したものなのかによって、取り組み方が違ってくる。「知識」のフロンティアにはいつも予測不能のエコシステムがあったとは思うけど、一般の人の普通の仕事にそれが関係するようになったのは最近のことで、これは結構、混乱の種ではないだろうか。

「知識」と言うと、人が体系化したロードマップがあるはずと無意識に想定して、それを読みとろうとする人が多いけど、これは、自分もその一員である「エコシステム」として理解すべきものなんだよ、きっと。


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