学校を人的ネットワーク格付け機関として再生する
営利団体としての学校が、教育という商売のタネをはみ出そうとしたとき、その人その人が属しているネットワークの格付けと、ネット同士の相互作用の場の提供という2つの側面を打ち出してくると、面白いような気がする。
これは、数多くある「学校改革」のアイディアの中で、唯一現実的なものだと思う。
なぜかと言うと、他のアイディアは、子供を救うことはできるかもしれないが、先生を救うことはできないからだ。
学校が今の子供に役に立つ場に変容しても、学校の他にそういう場ができても、多くの先生はそこで働くことはできないだろう。もちろん、今、矛盾の中で苦しんで真摯に子供のことを悩んでいる先生には、いくらでも出番がある。でも、それはスーパーハッカーのように稀な存在で、熱意も能力も普通レベルの先生にはたぶん行き場がない。
失礼ながら、並の先生の持っているスキルで他の職業でも通用するものはあまり無いのではないか。
しかし、「その人が属しているネットワークの格付け」というのは、既に多くの先生が共通に持っているスキルであり、現状のままでも充分、競争優位を保てるものだ。
生活指導の先生とかは、そこしか見てないよね。そこしか見てないけど、そういう所はよく観察してるよね。
「人的ネットワーク格付け機関」を戦略目標とするなら、戦術として「受験を本人にやらせるのではなく、その子供の推薦人を試験で選抜する」というのも面白い。これは動員できるマイミクが多い人が有利な「mixi型選抜試験」ですね。科目ごとに別の推薦人に受験させられるようにしたらもっとよいと思う。
これでマイミクがたくさんいる人を選抜して、保護者にも子供にも校外に開いたコミュニティねずみ講をせっせとやらせる。名目は、総合学習でも部活動でも親睦会でもなんでもいいだろう。
先生方はそれを俯瞰して、校内にどのような人的ネットワークが資源としてあるか把握しておく。
それから、顧客からの依頼に応じて、適切なコミュニティまたはハブとなっている人間を紹介して、紹介料をもらう。地域ごとに「これこれのような人を探してください」という借り物競争のような依頼に答えてくれる機関があるのは、経済面でも文化面でも有用ではないだろうか。
同じように「相互作用の場の提供」という線でも、いろいろ展開できそうな気がする。
両方ともネットの中には競合するサービスがたくさんあるが、地域に密着していることと「生活指導の先生」的スキルを持った人がたくさんいることによって、充分対抗できるだろう。