「どうぶつの森」というゆるやかに閉じられていて微妙に開かれている世界

muscovyduckさんのこちらのコメントで紹介されて、みたいもん!!: どうぶつの森ってなんでこんなにおもしろいわけ?・共生編を見た。とても興味を持ったし、私の中で「任天堂あなどりがたし」という印象はかなり強まったが、やはり「アーキテクチャ的な問題」と私が呼んでいる問題を解決することは難しいと思う。

ただ、「アーキテクチャ的な問題」と自分が言っていることが何なのか、少し見えてきた。

ひとことで言うと、「どうぶつの森」はオープンソースにはできない。そこにThe Net、インターネットとの本質的な違いがあるということだ。

さらに任天堂理解しすぎ!のことが、まだあります。同じ家に住んでいても、ちゃんとともだちコードが違うんです。もう驚愕!ホント、任天堂ってわかっているよなあ(めんどくさいからここ説明なし)。

「同じ家」とは、次のような「共生」の状況であるらしい。

となると、DSは家にあって、昼間は子供、夜はお父さんとなります。23時で店しまるので、夜は釣りしかすることありません。同じ家にいるおとうさんが夜つりやって、それを子供が店で金にする(お父さんはどこまでも働くのです!)。

また、ともだちコードを共有すると、次のようなことになるらしい。

現在おれのどうぶつの森は絶賛 Wi-Fi ゲート開放中のまま放置。おれはというと NDS を自室に置いて出先。いそがしい。あそべない。あそべないけど Wi-Fi でゲートあけとけば誰かがおれの村で遊んでくれるかもしれないというゆるい期待。誰かが勝手に村の果物を収穫してくれるかもしれないし、誰かが勝手に村に木を植えてるかもしれないし、誰かが勝手に村の木を切り倒してるかもしれないし、誰かが勝手に村の雑草を抜いてくれているかもしれないし、誰かが勝手に花に水をやってくれているかもしれないし、誰かが勝手に村中にゴミを撒き散らしてくれているかもしれない。(中略)

ゲートが開いているあいだ、おれの時間もインスマス村の時間も勝手個別に流れている。NDS 本体を閉じてから再び開けたときに、目の前にひろがっている景色がちょっと変わっていればうれしい。それはつまりおれが知らないうちにもインスマス村には時間が流れていたことの証拠だからだ。

あるいは、こんなこと。

なお、現在わたしに近い森ではカナダプレイというスタイルが流行しています。

【カナダプレイの特徴】※

  1. もんあけたまま寝る
  2. 常時あけっぱなし
  3. どろぼうに入られるとせつない
  4. そのどろぼうは確実に知り合い
  5. それもこみこみで門をあけておくM的プレイ(ロストハウス

※カナダ人は鍵を閉めないという故事に由来する

つまり、同じカートリッジを共有する家族と「ともだちコード」を交換している友人だけに向けて、それぞれ違うかたちで自分の家は開かれている。この制限が実によく考えられていて、ゆるやかに閉じられていて微妙に開かれている世界になっているのだろう。その重なりあう広がりのあり方は世間をシミュレートしているようでもある。

そして、この仕組みは、参加者が「制限事項」を共有するという点で、Winnyのネットワークに通じるものがある。

だからどちらも類似品はできるかもしれないが、オープンソースにすることは難しい。巧みに設計された「制限事項」をクラックすることができてしまうからだ。つまり、ソースをいじって、「ともだちコード」を交換してない他人の家に侵入したり、アップロードしないでダウンロードだけすることができてしまう。

TCP/IPという「制限事項」に同意しないユーザはThe Netに参加できないが、The Netがアーキテクチャ的に強要する制限事項はTCP/IPだけである。それ以外の制限事項を強要することができないのが、The Netのアーキテクチャ的限界である。オープンソースにすることができないものは、The Netに永続的に乗っかることはできない。

Winnyと「どぶ森」とThe Netは、巧みに設計された制限事項をユーザに提示して、ユーザが自発的にその制限をシェアすることを求め、それに同意する多くのユーザを集めた。そして、その制限事項はユーザをhappyにした。その点において、三つのシステムは同等である。

しかし、制限事項に同意しないユーザを、どのように排除したのかが違う。The Netはアーキテクチャー的に排除した。つまり、IPパケット以外のものは、The Netには侵入できない。しかし、Winnyと「どぶ森」は倫理的に排除している。制限事項に同意してない外部の人間が、プロトコルを解析して侵入してこないことを期待している。その期待がスケーラビリティを制約する。ある限度以上にこれが広まったら、クラックされてネットワークは崩壊するだろう。

民主主義国家も憲法という制限事項に同意した国民が自発的に結集して構築されたという神話を持っている。そういう意味では、Winnyと「どぶ森」は民主主義国家と同じくらいにはスケールアップできるかもしれないが、The Netの代わりにはならない。しかし、

Web2.0とかRSSとかどうでもいいと過去に言いましたし、SNSなんてうんこだとも言いましたが、SNSがうんこである理由がこの会話にあります。

それどころか、「The Netなんてうんこだ」と言えるほど、このゲームが提示している可能性は面白いもののようにも思える。

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