心理職の国家資格化について

精神科のカウンセラーやスクールカウンセラーが持っている「臨床心理士」という資格がありますが、これは現在の所、医師や看護師のような国家資格ではありません。そこで、これを国家資格にしようという動きがあるようですが、これが非常に迷走しています。

私は全くの素人ですが、これは非常に重要な問題であり、もっと注目されていいことだと思いますので、いくつかのブログを頼りに、これについてまとめてみます。

まず、outlandos d'amour : 心理職法案 2つの資格創設で合意によると、郵政問題で解散となった前の国会で、法案が提出されかかる所まではいったようです。しかし、この法案は、1つの法律に2つの資格という妥協的性格の濃いもので、解散と一緒に仕切り直しとなったようです。


国家資格化への取り組みは厚労系議員が先行し、主に医療分野で働くことを想定した「医療心理師(仮称)」を検討。これに対し、教育や福祉など幅広い分野で活動している民間資格の「臨床心理士」の全国組織が、医療職だけが国家資格となることに危機感を募らせ、文教系議員が後押ししていた。

この記述から想像できるのは、厚労族と文教族の縄張り争いという非常に次元の低い話です。

心理職の国家資格化実現検討委員会(byつなで):事実に立ち返ってによると、これに対応するように、心理の専門家の団体も二つに分裂していて、その対立は仕切り直し後の解消していない(激化している?)ようです。


この春から夏にかけて起きたことからわかるのは、/A「医療心理師」の単独成立は、「(国家資格)臨床心理士」推進団体によって反対される。/B「(国家資格)臨床心理士」の成立(単独であれ、2資格1法案であれ)は、医療諸団体によって反対される。/国家資格実現のために、どうしてもこの関係が打開されないといけないでしょう。

臨床心理士デスマのつぶやきBlog 国家資格化は困難!?というブログを見ても、両者の対立の深さを感じます。

しかし、これは単なる政治レベルの生臭い話だけの問題ではありません。もともと医療と臨床心理との関わりは、非常に難しい問題であり、臨床心理の専門家のアイデンティティに関わる問題でもあります。

hotsumaのURLメモ経由で、「臨床心理職の国家資格のための緊急ブログ」から、臨床心理側の立場からそのあたりの問題について考察されたエントリーです。

ちなみに、侵襲性とは「検査や治療などによって、患者を傷つけたり,患者の生活あるいは生命の質(Quality Of Life)を低下させたりする可能性があること」だそうです(ネタモト)。

「心理職の国家資格化実現検討委員会(byつなで)」というブログの心理職国家資格を分割しないほうがよい理由(ichi-ishiさんコメントより)というエントリーにも、この問題に関わりがあるコメントが引用されています。


しかし、いま、週二日の外来を除いて、他は、医療から外に出て仕事をしていますが、ここから、眺めてみると、やはり、医療と心理学は似て非なるものという思いが強くなっています。ベン図で考えると心理学と医療との重なり部分は確かにそれなりの大きさがあります。このため、医療側からは、同じ領域にあるものと思ってしまうのですが、重なっている部分以上に、広大に広がる異なる世界(幅広い心理学の知識)が医療関係者が想像する以上に大きいと思います。

「広大に広がる異なる世界」が隣接する諸分野から充分認識されてないことは、同ブログの私たちは、どこに向かっているのだろうというエントリーからもうかがえます。


私は、確かに、臨床心理士会のいろいろな動きには、問題も多いと思っています。まず、医療関係諸団体との緊密な関係を構築できていないということです。本来ならば、職種の性質上、この点がとても大事なことのはずですが、いろいろな経緯から、日本医師会や精神医療の各団体との良好な関係が構築できていないようです。もう一つは、基礎心理学系の心理学諸団体との良好な関係を構築できていないことです。日本心理学会・教育心理学会・発達心理学会などは、いずれも心理臨床学会臨床心理士会に対して、批判的であると思います。臨床心理士会が、この点に対して、どう考え、どう自己改革していくのかを示していく必要があると思います。

これは、私が2ちゃんねるの心理学板をウォッチした経験からも、納得できる所です。ご存知の通り、2ちゃんねるでは低レベルの罵りあいがどこの板でも見られますが、心理学板は特にひどかったです。

学問系の板では、どこでもディベートが多いと思いますが、しょせん学部生レベルのディベートでは、ディベートの筋もそれほど独創的なものにはなりません。そのために、かえって定説の受け売りと別の定説の受け売りの定型的なやりとりに収束してしまいがちです。しかし、心理学板で基礎心理学(実験心理学)系と臨床心理学系が喧嘩をはじめると、言葉使いだけでなく、喧嘩の筋道そのものが厨房レベルになってしまい、(2ちゃんねる外で)両者の間で建設的な議論がされてないことが、容易にうかがえます。

どういうスレでもまんべんなくそういう喧嘩がはじまるので、バトルウォッチャーを自認する私も嫌になってしまいました。だから、最近の状況はわかりませんが、少くとも昔は、非常に独特の荒れ方をしている板でした。

私の理解では、このへんの、話の「かみあわなさ」には、科学哲学的な問題が含まれているような気がします。実験心理学や医学というジャンルは、人間がからむ分だけ科学的方法論を徹底的に追及することはできず、かえって物理学や天文学のようにその限界に行きあたって悩むことがありません。その為、無自覚的な素朴実在論のレベルから脱出できないので、違う立場に立つ臨床心理学と、適切な棲み分けができないという状況があるように感じます。

ただ、臨床心理と言っても、スキナーの行動主義から来た流れもあって、その内部にもいろいろな立場がありますが。

いずれにせよ、これは、一方で「こころとは何か」「人間とは何か」「健康とは何か」という非常に哲学的、実存的な問題であり、一方で、特定の職種における既得権の奪い合いのようなレベルの低い問題でもあります。高いレベルの話と低いレベルの話が中抜きで直結している非常にやっかいな問題です。ただ、どちらの問題も、私たちの生活に関わる非常に切実な問題であり、専門家にまかせておいていい問題とも思えません。

私が素人なりに勉強してきたことから考えると、上のレベルの問題に、素人が口を出して新しい論点を提供できる可能性はまずありません。素人がからむと99.99%、事態がより一層混迷するだけです。しかし、下のレベルの問題としては、これと無関係でいられる人は、そう多くありません。この議論から整備されることになる専門職に、間接的に支援を受ける機会は、誰にとってもこれから非常に多くなると思います。

だから、うっかり口を出して事態が好転するとは思えないのですが、専門家にまかせて放置していていい問題ではないことも確かです。具体的にどうすべきかはわかりませんが、とりあえず注視すべき問題であるのは間違いないと思います。

(追記)

本文に入れそこねましたが、ロジャーズに還れ!という意見には同感です。ロジャーズ選集を読んで感じたことですが、ロジャーズという人は開かれた人で、隣接分野や社会との関わりに積極的だった人だと思います。彼は自分の方法論からそういう面倒くさい要素を排除していません。現在の臨床心理学は、ロジャーズのその面を継承してないのではないでしょうか。

むしろ、その面を正しく引きついでいるのは、(臨床心理学の主流とは言えない)ミンデルだと思います。(ミンデルについては、この記事の末尾参照)。