人脈デバイド

世の中の変化を無条件で悪とみなす人は、現在存在している悪に鈍感である。だから、発生する問題と対となって既に存在する問題を指摘する語彙が必要だ。

例えば「デジタルデバイド」に対して、「人脈デバイド」を考える。

ネットが政治に関与したらデジタルデバイドが問題になる。ネットサーフィンがうまい人が有利になり、そうでない人が意思決定から排除される。しかし、ネットが政治に関与しなかったら人脈デバイドという問題が残る。人脈サーフィンがうまい人が有利になり、そうでない人が意思決定から排除される。

ネットサーフィンも人脈サーフィンも、ある程度の学習と訓練が必要だ。8割くらいの人は、訓練すれば普通に使えるようになる。1割くらいとても上手な人がいて、1割くらいはどうやってもうまくできない人がいる。

だから、「デジタルデバイド」と「人脈デバイド」のどちらが不公正の度合いが強いか、それが問題なのだ。あるいは、「ネットサーフィン」の頂点に立つ人と「人脈サーフィン」の頂点に立つ人の、どちらが我々の代弁者として適切なのか、それが問題なのだ。

それは、常に比較級の問題であり、「デジタルデバイド」が存在することだけが、変化を留める根拠となってはおかしい。