解毒剤には毒がある

私は、解毒剤となることを志向して文章を書くことがある。そして、解毒剤というものは、ほとんどの場合、毒を持っているものだ。私の書くものの中にも、カテゴリーエラーやトートロジーなどのかなり強烈な毒が含まれていると思う。半分は意識しているつもりだけど、外からしか見えないこともたくさんあるから、「ここにはこのような毒がある」と指摘してもらえるのは、ありがたいことだ。

しかし、解毒剤に対して「無毒になれ」と言うのは「無力になれ」というのとほとんど等しい。それはナンセンスな指摘だと思う。

もちろん、「何の毒に対する処方なのか」ということは明確にする必要がある。そこをきちんと把握できないまま解毒剤を処方しようとするのは、危険なことだ。私としては、これまで、以下のようにさまざまな形で、時代に蔓延する毒を描写してきた。

ここで問題としている「毒」は簡単には言語化できないものだと私は思う。ただ、漠然とそういうものがあるという危機感は持っていて、それは多くの読者と共有しているような気がする。

だから、この構図全体を見据えて批判していただければ、一番建設的だと思う。

「毒などない。すでに把握された問題がいくつかあるだけで、解毒剤というリスクは不要である」と言われたら、私は毒の方をもっと言語化すべきだし、「毒はあっても解毒剤は原理的に使用すべきでないものだ」と言われたら、私は毒と共存する方法を考えるべきだし、「essaにはまだまだ毒が足らないので解毒剤として無効である」と言われたら、もっと強力な解毒剤になろうとするだろう。

もちろん、無毒な解毒剤を持っている人がいたら、ぜひそれを処方してほしい。