脱士農工商的ハローワーク

士農工商の本質は、身分が固定されていることではなくて、選択肢が有限であることだ。13歳のハローワークは、4つよりはるかに多くの職業を網羅してはいるけど、職業の選択肢が有限であるという意味では、平成版士農工商的メッセージに見えてしまう。労作ではあると思うけど、そこに限界を感じる。

坂本竜馬は脱藩してからも、藩に残った人と断絶したわけではなくて、情報交換したり共同作業したりしている。脱藩とは、藩を脱することではなく、士農工商身分制度の外に出て、自分の任務を新しい職種として創造するという意思表示だったのではないか。

これからアグレッシブな企業に入社しようとすると「あなたはこの会社でどんな職種につきたいですか?」ではなく「あなたはこの会社でどんな職種を創造しようとしていますか?」と聞かれるだろう。士農工商を細分化した枠のひとつをうまく選択できる人ではなく、その外に自分の仕事をひとつの職種として新設できる人材が求められる職場が増えるだろう。

既存の職種につく場合でも、やはりその職種を新しく創造することでしか職責を全うできないケースも増える。教師なんかが典型的にそうだろう。これから子供を教え導くことほど、チャレンジングでリスクの大きいことはない。それはヘタなベンチャー企業に就職するよりよほどやりがいのある仕事だ。既に存在する枠に自分を押し込むことで成果を生むとは思えない。

だから、脱藩的ハローワーク、脱士農工商ハローワークが必要なのだ。