エートスの転換を告知する為のエッジ
エートスとは、グリゴリの捕縛 あるいは 情報時代の憲法についてから引用すると、以下のようなものです。
エートスは社会の構成員としてふさわしい「ふるまい」を繰り返すことで体得される、すなわち習慣によって形成される行動の傾向です。それは人間が社会をつくりだす上で通有されている行為の類型とも言えます。しかし、単に機械的にある行為を繰り返すだけではエートスとなったとはいえません。その習慣は、人が意識的に選択するものでなければなりません。すなわち、「そのように振舞うべきである」という意識が背景にあることが必要です。また「そのように振舞うべきである」という意識の基礎になるのは、何が「正しい」かということについての人の内心の判断です
私が、タダ働きが世界を動かすと、痛快!モヒカン族で訴えたいのは、「エートスの転換が今起きている」ということです。そして、どちらも、今形作られつつあるその新しいエートスの中身を正確に記述するよりは、そのような現象を認識できない人、しようとしない人に、まず、そういうことが起きているんだよ、という認識を持ってもらうことをめざしています。
新しいエートスの内容についての記述であれば、上記の白田先生の論文をはじめとして(この補足もいいです)、いくらでも素晴しいものがたくさんあります。しかし、いくらそういうものが広まっても、絶対にそれを認めようとしない人も一方で存在します。
そのギャップは広がる一方だし、現在の社会の中で、支配的地位についている人ほど、これを認識しない傾向が強いと思います。その結果、社会の仕組みとエートスが乖離してしまったら、無駄な葛藤を多く呼び起こすことになります。
例えば、GPLのソフトをこっそり製品に仕込むような事件というのは、エートスの転換についての無理解が根っこにあると私は想像しています。金にならないことにそこまでムキになる人間がたくさんいることを信じられない人が、そういう問題を起こすわけで、そういう人には「ナメてると大変なことになるよ」と脅してあげるのが、お互いにとってハッピーな道です。
新しいエートスを正確に記述することも重要ですが、まず、それを認識しない人に詳細は抜きにしてその存在を知らせる努力も必要だと、私は考えます。
そして、これまで正攻法的表現の広まる範囲が限定されていることを考えると、プロレス的な反則スレスレの極端な表現を試してみるのも有効ではないでしょうか。
私の、「タダ働き」と「痛快!モヒカン族」は、そういう意図で書いています。ですから、新しいエートスを既に体感的によくわかっている方から見ると、多くの批判があると思います。
特に「タダ働きが世界を動かす」ついては、最初に発表した時にも反論をいただいたし(ちなみに、それに対するあまり態度がよいとは言えない再反論)、武隈でも、いろいろ問題点を指摘されています。
まず、それが明かな嘘、間違いを含んでいたら、意図に関わらず問題であり訂正すべきです。しかし、タイトルとして強調している「タダ働き」という言葉等の、微妙な嘘、ミスリードするような表現は、文章の目的から意図したものであり、プロレス的5秒ルールでなるべく大目に見ていただき、できれば、以下のような視点から批判をしてほしいと希望します。
- エッジとしての有効性があるか?(現象が認識される範囲を広げることに効果があるか)
- エッジとしての有効性を下げることなく誤解の少ない表現に置き換えることが可能であるか?
- 回復不能な誤解を広げる可能性があるか?
「エッジ」とは、認識の境界線を広げることを意図した表現というような意味です。
それと、これをCreative Commonsライセンスでブログの外に書いたのは、改訂版を作りやすくする為です。「エッジ」以外の目的に転用する為、あるいはさらに範囲を限定した「エッジ」に使用する為、その他もろもろの理由で、これを修正して使いたい人は、なんのことわりもなく、どんどん活用して下さい。