「できちゃった政権」の正統性

読売新聞:4月28日付・編集手帳から


写真で見ると、(「売国奴」秦檜夫妻の像は)後ろ手に縛られてひざまずく異様な姿である。廟に詣でた人々は、秦檜夫妻の像につばを吐きかけるのが常という。


平和を祈るのならば「A級戦犯」の霊も、秦檜夫妻の像と同じ扱いを受けねばならないと、中国政府は考えているのかも知れない◆日本人の心に対する領海侵犯であろう。

劉傑氏の説明に添って考えると、「中国政府は考えている」ではなくて、「〜ということに日本政府が同意したと中国政府は考えている」のだろう。

それが、中国側の勝手な思いこみなのか、外交の言葉として暗黙に相互承認されていたことなのかは私にはわからない。

ただ、もし、中国政府がそう考えているとしたら、中国を批判する前に、当時の日本政府は何を意図しそれをどのように表現していたかをまず問うべきだろう。日本がそんなことは一切言ってないとしたら、これは中国の思いこみ+言い掛かりということになる。しかし、それを言っているとしたら、あるいは外交上、暗黙の肯定とみなされるようなことをしているのなら、中国の抗議は正当であり、「領海侵犯」と我々が文句を言うべき先は当時に日本政府になる。

つまり、戦争責任とA級戦犯の関係について、中国にどのように表明したか?ということだが、おそらくそれはサンフランシスコ平和条約の追認であるので、日本政府は占領を脱する時に、何を意図しそれをどのように表現していたかという話になる。

「被占領時にアメリカから強制された東京裁判肯定史観は無効」という主張はなりたつと思うが、それを言うと、アメリカ占領軍から政権を禅譲された戦後の日本政府の正統性はどこにあるのか?ということになる。「アメリカに軍事力で強制された偽の日本政府」と「正当な手続きにのっとり日本国民の意思を代表する真の日本政府」がいることになる。中国と国交を回復した政府は前者で、靖国参拝をする代表者をかかえる政府は後者で、戦後のある時点で、両者が断絶しているとみなさければいけなくなる。

こういうことにいちいち筋を通していたら窮屈でしょうがないと思うのだが、それがナンセンスであることを百も承知で、「銅像につばペッペッペ」というゲームを楽しみつつも、要所要所でそこそこの大義名分をかかげるのが、さすが中国4000年の知恵というものなのか。

戦後日本のような「できちゃった政権」に「正統性」と言われても、このようにかなり苦しいことになるが、実際に問われているのは「正統性」なのだと思う。