あまりにモダンな老人

仲俣暁生さんの『ネットは新聞を殺すのか』への疑問から。


自分たちのつくっている世界だけが「現実」を構成していると思える人だけが、ネットを安直に現実世界と対置させてしまう。マスメディアがネットに対して危機感を抱く理由は、たぶんネットがどういう性質のメディアであるかという問題とはまったく関係がなくて、たんに「自分たちは現実世界のすべてをカバーしえている」という幻想が、あっさりと破られてしまうことへの恐怖だと思う。それを単純な言葉でいうと、既得権を脅かされるという不安、ということになるのだけど、自分がどんな既得権をもっているかということに、人はなかなか気づかないものでもあるのだな、困ったことに。

ちょっと古い記事だけど、鉄道とITと読書と文学と風景とプロ野球から。


プロ野球も文学も出版界全体も同じだと思うのは、この「衰退しつつあるジャンルで頂点にいる人が、既得権益の保護に走ってジャンル全体の体質改善を怠っている」という構造だ。


だが、どの業界にもナベツネみたいな「モダンな、あまりにモダンな老人」はいるはずである。

なるほど。

「モダンな老人」たちが手放せないものは、金や権力じゃなくて、「『自分たちは現実世界のすべてをカバーしえている』という幻想」なのだ。

やっぱり世の中はお金で回っているわけではなくて、言葉で回っていると言った方が実態に近いのではないだろうか。彼らは、自分の信念を手放せば、もっとうまく金や権力を維持できるのにそうしない。金や権力より信念の方が大事なのだ。