従軍慰安婦問題について考えたを読んで別のことを考えた
内田氏は、こういう問題については「政治のレベル」「歴史学のレベル」「トラウマのレベル」の三つのレベルで「違う判断基準で史料に対してふるまい方を変えなければならない」として次のように述べている。
トラブルは、おそらくこの問題について論じる人々が、自分はどのレベルを優先しているのかについての立場の選択にあまり自覚的でないことから生じている。
先週、アメリカの少年刑務所で、自分の犯した犯罪を強制的にロールプレイで再体験させるという心理学的な矯正の手法をテレビで紹介していたが、あれを思い出した。
あれは、たぶんすごくよく「効く」ので治安政策のレベルでは正解。
そして、それが何故効くかというと、心理学的に犯罪者を過去のある時点に追いつめてロールプレイの「効き」をよくしている。最初に加害者である自分自身の役をやって、次に、彼(=自分)によって殺される被害者の役を演じなくてはならない。その経験の一番イヤなツライ側面を引き出して、その体験の中に犯罪者を放りこむ。その手順の中には、犯罪者の否認を受容して、自分の口から事件の全容を語り出すのを待つという部分もあるが、おそらく、それはとことん体験の「核」に追いこむための、心理学的に正確に構築された手法の一環であるように見える。当然検証は必要だが、全体として客観的な検証が可能なシステムであるように見えた。操作的な観点に立つ心理学としては、非常によくできていて、その観点から見ても正解。
要するに、犯罪者にとって犯罪は最もつらい体験なのである。それがいろいろなものでカバーされているだけなので、そのつらさの核を剥き出しにすることができれば、それは死刑や拷問より残酷な刑罰になる。ひょっとしたら、そのことが数字となって客観的に有効性が証明されるかもしれない。
それは大発見で有用な知識でもあると思うが、すごく恐い知識であるような気もする。
今、話題になっているあの犯罪者にこれを適用すれば、その犯罪の残虐さがそのまま彼に返ってくると思うので、「すぐ日本でもこれを導入して、あいつにもあれをやってやれ」と思うのだが、そういう自分は、上記二つのレベルとは違うレベルで思考していて、それが正解なのかどうかはわからない。