ブログとは「積み重ねホームページ」

コメント欄にあったリンクからこちらを経由してたどりついたのですが、


つまり、最低限のブログスタイルとは、古い記事を残しておくことである。 / 以上の1点です。僕としては。

この意見にすごく共感します。「何でこんな簡単なことに今まで気がつかなかったんだろう」というくらい。偉そうに言うと「歴史性の開示」でしょうか。ひとつの記事を単体で読むのと、積み重なったアーカイブの中で読むのとでは全然意味が違います。

単なる技術情報、例えば何かのツールを探していて、「これこれのツールをダウンロードして使った。よかった」としか書いてない記事を見つけたとします。これ単体ではあまり情報がないですが、アーカイブによってたくさんの意味が付加されてきます。その人がどんなOSでどういうことにコンピュータを使っているのか、プログラマなのか普通のユーザなのか、学生なのか社会人なのか、事務職なのか技術者なのかデザイナーなのか。他にどんなツールを使っていて、どんなツールがお気に入りなのか。その人が自分と似たようなツールを他に使っていれば、そのツールが自分にフィットする可能性が高いと推測できます。あるいは、その人の情報源が書いてあれば、その情報源に関する情報が探していたツールより役に立つ場合もあります。

単なる1行の事実でもこのように多面的に読みとることで、非常に豊かな情報になるわけです。まして、意見、感想、アイディア等では、それが何倍にもふくらみます。

特に、政治経済や社会問題に関する意見を探しながら、自分の考えをまとめるような時には、過去にその人がどんなことを言っているかということは、すごく参考になります。図式的に言えば、左の人が左を言うのと右の人が「今回ばかりは」と左を言うのでは意味が全然違う。何についても常に右のことしか言わない人が、あることに右の意見を言っていても、それにはあまり意味がないかもしれません。実際には、政治問題でも人と意見の関係はずっと複雑ですが、アーカイブから、その複雑な関係をかいま見ることができるブログも多い。

私は、それほどたくさんの個人情報を開示しているわけではないし、(これでも)思うこと全てを書いているわけではないですが、長く書いていることで自分の人格を全面的に晒しているような気がすることがあります。地球上で私のことを一番よく知っているのは家族だと思いますが、その次はこのブログを読んでいる人の中にいるかも、と考えたりします。

「過去記事を消さない」という自分ルールは、意外に精神的にはシビアです。さまざまなコンディションの中で、うっかり書いた馬鹿な意見とか無知をさらした記事とかつまらない冗談とかがたくさんあります。消したいという誘惑も強いですが、意地になって全部残すことで何かが表現されるという気持ちもあります。「思想」というものを表現するのに、一番適した手段はブログではないでしょうか。

ブログにはいろいろな側面がありますが、どういう観点から見ても「積み重ね」ということは重要で、本質的だと思います。いや本当に感服しました。