ネットによる客観性優位の終焉

上の意見には、同意する人もそうでない人もいると思いますが、面白いのは、「2ちゃんねる敗れたり!」とか「2ちゃんが舞い上がった」という私の主張に対して、客観的な基準で結着をつけることがほぼ不可能なこと。

意見の分布を定量的に分析することはできるかもしれないけど、どんなに2ちゃんねるを評価する人でも、あそこがゴミだらけであることには誰でも同意するわけで、分析するなら「鋭い意見」をピックアップして、それを定性的に論じないと意味ある結果は出てこない。

私が根拠としていくつかのレスを上げたとして、違う意見の人が別のレスを根拠として反論したとして、何か噛み合う議論ができる気はしません。やるとしたら、相当な労力が必要で、その間にどんどん状況が変化してしまいます。

朝日新聞が2ちゃんねるを名指しで批判したというのは、客観的に確認できる事実であって、社会的な影響力が無視できないものになったのは確かだと思いますが、それについて客観的な分析や議論ができないものが、社会を動かすようになったということに、時代を感じます。

ブログも、特定の少数のブログが意味があるわけではないので、その点では同じですね。

「主観と客観を超越した方法論キボンヌ」ということでしょうか。