現実が理想のネガであるという観念

上に引用した座談会では、もうひとつ、創造活動に対するインセンティブに関しての面白い問題提起もある。


知的財産権の基本的な前提になっているのは、「人間は金銭的なインセンティブがなければ創造は行わない」という仮説です。

この種の議論をするには、金銭的な動機を二種類に分けることが必要だと思う。

例えばプログラミングをしたり何かのサイトを運営するには、パソコンを買って回線やサーバを借りなくてはならない。フルタイムでその仕事をするなら、仕事でその経費を稼ぐ必要がある。

いくらオープンソースの人が理想主義的で利他的だと言っても、仕事を回すための金が全部自分の持ち出しでいいという人はめったにいない。仕事を継続するための費用はインセンティブとして与える必要がある。

しかし、それを超えて数億円とかもっと稼ぎたい人がどれくらいいるのか。いるとしても、それは単に「自分の仕事が評価されたら、もっともっとそれを拡大したい。そのお金は欲しい」という意味ではないのか。

一方で、俺が悪口を言う「既得権者」のように、仕事をしないで稼ぎたい人もいる。こういう人たちに金を与えても、それは決して「創造のためのインセンティブ」にはならない。

ストールマン氏へのインタビューに以下のような発言があった。


そういう国−共産主義国−では、国が同じような理想論を抱えながら実際やっているのは独裁だったという背景がある。それが人々をとてもシニカルにさせている。それで、彼らが理解できるものというのは、非常に極端な意味での利己主義ということになっている。他の人を思いやれなくなっているのだ。

どこの国でも嘘を言う奴が多くて、理想と現実、利己主義と利他主義、等の境界線が変な所に引かれているのだ。まともな議論をするには、概念や用語をきちんとしなくてはならない。「現実的」な議論をしたい人は、一度、自分が言う「現実」とは何なのか、きっちり哲学的に考える必要がある。現実がきれいに理想のネガになってると思うのは、現実を観察してない証拠だと思う。