P2P式の井戸塀
「井戸塀」という言葉がある。昔は政治家をやると持ち出しが多くて、身上つぶして井戸と塀しか残らないという意味だ。
洋の東西を問わず、金持ちはいざという時のために財産を集積して管理していて、いざという時はパーーーーッと使ってしまうものだ。昔は上も下もうっすらとそういう感覚を持っていた。
公共のために何かやって得することはないのだ。社会システムの良し悪しや古い新しいではなく、常にそういうものなのだ。それでもやる奴のことを井戸塀と言う。
オープンソースの開発者は、それでいくらかは儲けているかもしれない。たまにガッポリ稼ぐ奴もこれからは出てくるだろう。しかし、彼らがオープンソースをやることが、最も期待値の高い選択であることはめったにない。優秀な奴もそうでない奴も、自らの才能と時間を直接的に「IT」に向ければ、もう少し確実に儲かる。若干専門用語を使えば、「IT」と「オープンソース」のポートフォリオが最適値になってない。常にいくらか損なポジションを選んでいる。
あえて損を選択する差額の中にに志(こころざし)がある。ひとりひとりの持ち出しはちょっとであって気負いがない。そのささやかな井戸塀をP2Pで連携すれば、革命が起きてしまうではないか。