翼を失なったイデオロギー

今の右翼/左翼の人たちには右欲/左欲という言葉のほうがふさわしい。

だが、昔の政治的人間に欲がなかったわけでなく翼によって欲が覆い隠されていただけだ。しかもその翼は自らの努力で獲得したものではなく、時代精神としてそのような言葉や思想の力がただよっていたものを、無意識に濫用していただけだ。自分が偉いわけではなく単なる親の七光りである。

団塊の世代が嫌われ嘲笑されるのは、親の財産を食いつぶして、さらにそのような言葉の力を決定的にダメにしてしまうからだ。

俺たち新人類世代は、わずかに残った財産を無駄に使うなと前の世代に抗議してきた。世の中に無尽蔵に言葉の力があって、どのように無責任に乱用してもそれが尽きなかった時代ではない。それをもっと大事に使おうよと言っていたわけだ。

だが、今や決定的に言葉の力が無い時代に生まれそれを生きる若い人には、そのような抗議や抵抗は無意味。右翼/左翼が右欲/左欲であるとわざわざ指摘しなくても、若い人は誰でも最初からわかっている。

新人類は団塊的価値観から逃走するという闘争に耽溺していて、そこから一歩も先へ進まないと怒られているような気がする。