ジャッジするコストとしないコスト

適切なジャッジをしようと思うととてもコストがかかる。ひとりかふたりの天才的な審判員を発掘すればよいという問題ではないからだ。公平さを確保するためには審判員を選定するプロセスそのものが公平でなくてはならない。そして、そのプロセスが機能するためには、技術とモラルにおいて一定のレベルの審判員を継続的に供給するシステムが必要だ。さらに、国際的な技術レベルの審判員を養成するためには、裾野となる草野球レベルの審判員が膨大に必要となる。

だが、ジャッジが適切でないこと、ジャッジに信頼感がないことのコストはこれとは比較にならない。次世代の若者たちは、不適切なジャッジを見て自分の進むべき道を決める。競技そのものが崩壊してしまう。

勘違いしてる奴がいるかもしれないが、これはソルトレークの話ではなくアフガニスタンの話なのである。