「ギークの暴走」としての「本物のGoogle八分」

Google八分」という言葉は、私が前のブログで、「「Google八分の刑」という難問」というエントリーを書いた時に思いついた言葉ですが、実は、私が思った意味とはちょっと違う意味で流通してしまいました。

ひとことで言えば、私が考えていたのは「ギークの暴走」だったのですが、実際には、「スーツの暴走」が先に現実化して、「Google八分」という言葉は後者を指すものとして定着してしまったようです。

「スーツの暴走」とは、資本関係や営業面での考慮によって特定のURLが排除されて、言論の場としてのインターネットが歪められてしまうことです。これはこれで問題ですが、「スーツの暴走」に留まっているうちは、従来の「大企業の横暴」「大資本対市民」と言った捉え方で考えることができます。つまり、構造的には昔から繰り返されてきた問題が、単にインターネットという場に場所を移しているだけのことです。

しかし、私がもともと考えていたのは「ギークの暴走」であり、その意味での「Google八分」は次の言葉で定義できます。

Google八分とはGoogle八分のページへリンクしているページをGoogle八分にすること

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ホリエモンの海外口座には犯罪性が認められなかった

LD側は、自社株の売却収入を粉飾原資にするため、海外法人などを使った資金還流を行っていたが、その捜査の中で、他の粉飾決算や、スイス系金融機関の口座に預金された資金の存在などが浮上。特捜部は、脱税や横領などの事実はないか捜査を進めてきた。(中略)海外口座の預金は、LDが法人として運用し、堀江前社長など個人に帰属するものではなかったうえ、犯罪性は認められなかったという。

検察が印象操作に必死なのは煽り耐性が低いからかもという記事で取りあげていた件ですが、

プライベートバンクは個人資産家の財産を総合的に管理するのが主な業務で、特にスイス系の金融機関は、匿名性が高いとされる。捜査機関の口座照会を拒むこともあり、指定暴力団山口組旧五菱会系のヤミ金融グループによる事件など、犯罪収益のマネーロンダリングに悪用されるケースも多い。また、タックスヘイブンは、法人税の免税などの優遇措置があり、ペーパーカンパニーの設立も容易で情報も秘匿されやすい。

みたいに、あたかもマックロであるように飛ばして書かれていた件は、結局何もなかったと。

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「これはひどい」→日本メディアの北朝鮮訪問団の物見遊山

酔夢ing Voice - 西村幸祐 -: 拉致問題解決を妨害するものに出ていた、共同通信社長を団長とする日本メディアの北朝鮮訪問団の物見遊山の写真。

もちろんメディアが国家の外交戦略と同調する必要は無いし、独自の民間外交も結構だと思うけど、これはひどい

XMLとmicroformatsの違い

これを見て、急にわかったような気がしたけど、

<vevent>
  <item>
    <link href="http://www.fujitv.co.jp/sd/index2.html" title="フジテレビ - スローダンス">
      <summary>スローダンス 第一回</summary>:
      <dtstart title="20050704T2100+0900">July 04, 2005 21:00</dtstart>
      <dtend title="20050704T2209+0900">22:09</dtend>
    </link>
  </item>
  <description>久々の深津絵里主演ドラマ。楽しみ過ぎ</description>
</vevent>

こう書くのがXMLで、

<dl class="vevent">
  <dt>
    <a class="url" href="http://www.fujitv.co.jp/sd/index2.html" title="フジテレビ - スローダンス">
      <span class="summary">スローダンス 第一回</span>:
      <abbr class="dtstart" title="20050704T2100+0900">July 04, 2005 21:00</abbr>-
      <abbr class="dtend" title="20050704T2209+0900">22:09</abbr>
    </a>
  </dt>
  <dd class="description">久々の深津絵里主演ドラマ。楽しみ過ぎ</dd>
</dl>

こう書くのが、microformatsかなあ。

殿(しんがり)戦を戦っている皆様に

現在、私が置かれている状況を一言で表すなら、「殿(しんがり)戦をしているまっただ中」。

殿戦とは、仲間を逃がして先に進ませながら、自分は最後尾に残って迫り来る敵と戦いながら逃げていくという、戦争の中でもっとも難しい戦いである。

それだけに、殿戦を経験した人間は次に天下がとれるほどまでに強くなり、成長する。織田信長の「天下布武」という旗印のもとに集まって、浅井・朝倉攻めの際、信長軍勢の殿を命がけで務めた豊臣秀吉徳川家康がそうだったように。

思えば、この経済戦国時代ともいえる世の中で、私は十年来ずっと殿戦を続けている。と考えると、これからの厳しい時代、世の中をリードしていかなければならない者の一人に、自分も入るのではないか?。

私はいま、そんな使命感をひしと感じている。

TBS RADIO 小西克哉 松本ともこ ストリーム powered by ココログ: 4/13(木)この世はお金!儲けてる人スペシャル!で聞いた言葉だけど、同じ番組の伝説の雑誌スペシャル!という特集も良かった。

どちらも、激しい闘いを通り抜けてきたはずの人なんだけど、そうは思えない程ボーヨーとした声で実に味のある話なので、ぜひ音声で聞いてみてください。

こういう「就活キャラ」作りの必死さを笑うわけにはいかない

こういう「就活キャラ」作りの必死さを笑うわけにはいかない。(ベタでやってるならあれだけど)

古市学生寮 - 大学以上に学校的な就職活動へのid:naozaneさんのブクマコメント。

元記事も良かったけど、このコメントに激しく同意した。

努力の中の自虐成分

普段はチャランポランにサボっていて、肝心なときにだけしゃしゃり出て来て喝采をさらう。こんな「ひらめき型のお気楽な天才像」ってのはウソだ。 単にその天才の努力が理解できないからそう思えちゃうだけ。だってその天才は息を吸ったり食事をするように、ごくあたりまえに努力しちゃうから、素人には努力しているように見えない。 しかも当人は「ん? 誰でも出来る当たり前の事をオモシロおかしくやっているだけだよぉ」みたいな認識で「マメな雑用」をこなして努力しちゃっている。そして「なんでみんなもやらないの? 面白いよ。ちょっと処理するのにヤヤコシイのも有ってワクワクするよ」ぐらいの天然さだったりする。

これは全くその通りだと思うけど、「努力には自虐が不可欠」というような信念を持っている人もいて、そこから来るすれちがいもあると思う。

言葉の使用法の問題にもなるけど、「自虐を含まない努力は努力と呼ばない」みたいな感じ。だから、見えててもそれを「努力」と呼ぶのを拒否する人がいるみたい。

「もっと努力しろ」とか言われた時に、その言葉の中の自虐成分が何パーセントくらいかを判別できると、もっとスムーズにコミュニケーションができる(そして、価値観の断絶が露になる)のではないだろうか。